行雲流水の如くに

「新型コロナ」問題は国難と考えて対応すべきだ。

平成に入って早々に発生した国難は「バブル崩壊」であろう。

昭和の60年代から始まった金融機関による野放図な不動産や株式へ融資(もちろん日銀や大蔵省も容認していた)が、限界を迎えて崩壊を始めたのは1990年(平成2年)のころからだ。

まず株式が下落を始め、それが不動産の下落に及んで行った。

このころ「まだまだ大丈夫」と思っていた人の比率は70~80%くらいだろうか。

ところが株・不動産の下落は止まることを知らず、バブル崩壊で日本の失われた資産は土地・株だけで1400兆円と言われている。(2006年末)

 

そして第二の国難が「東日本大震災」だ。(2011.3.11)

死亡約16000人、行方不明約2600人を数え、福島原発は未だに収束のめどが立たない。

当時は民主党の菅内閣であった。

対応は稚拙な部分もあったが、「国難」という意識の下に不眠不休の努力をしたことを評価してよい。

当時幹事長だった枝野幸男に対し「枝野寝ろ」の応援も飛んだ。

 

現在、目の前にあるのは「新型コロナ」問題である。

12月に中国の武漢で発生以後も、日本には何の制限もなく中国人観光客は入り込んでいた。

だからすでに日本国内には潜在的な感染者が存在すると認識すべき。

「中国人からの入国を全面的に拒否しろ」と騒ぐのはもう無意味だ。ここは冷静になった方が良い。

すでに「水際作戦」は堤を破られていたのだ。

 

「ダイヤモンド・プリンセス」号の問題は、乗客を「無症状」と認識して何のチエックもなしに下船させたことだ。

これが最大の失敗。

安倍首相・加藤厚生大臣をヘッドとする司令塔がこの問題の深刻さを正面から向き合わないからだ。

 

お釈迦様が次のように述べている。

「過去の因を知らんと欲せばその現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ」

安倍晋三はいつも問題に正面から向き合わず、都合が悪くなると「隠ぺい・ネツゾウ・改ざん」を繰り返してきた。

しかしこの「新型コロナ」はそんな対応では抑えきれない。

「新型コロナ」に忖度しろと指示しても「忖度するわけがないだろう」

 

平成初期のバブルの時もそうだったが、政府・日銀・大蔵の対応は後手後手に回り、最終的には民間が営々として蓄えてきた自己資本の厚みで逃げ切った。

今回もおそらく政府に対応を任せていたら後手に回るだろう。

幸いなことに地方の知事を中心とした行政機関や国民一人一人の意識はまだ健全だ。

先手先手で対策を打つように政府を追い込んで、国民協力してこの国難を乗り切るべきだ。

マスクの奪い合いや乗客同士の諍いなどみっともない真似は控えるべきだろう。


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