斎藤幸平氏による「人新世の資本論」が注目されている。
「人新世」とは人類の経済活動が地球を破壊する時代。
気候変動を放置すればこの社会は野蛮状態に陥ると警告を鳴らす。
では我々はどのように対処したらよいのか?
斎藤氏は、危機の解決策は晩期マルクスの思想の中に眠っている、とする。
斎藤氏が解決策として提示しているのは「脱成長コミュニズム」。
「資本主義によって解体されてしまった「コモン」を再建する脱成長コミュニズムのほうが、より人間的で、潤沢な暮らしを可能にしてくれるはずだ」
ここからは私の考えだが、資本主義の問題点は、一部の新自由主義者もしくは富裕層を除いて誰もが認識している。
しかしその先どうするかは人によって見つける回答が違ってくる。
成長している限りにおいてはぶら下がっている人間にもおこぼれが来る。
しかし成長を止めれば誰もが貧乏になるのではないか?その先の暮らしはどうなるのか?
仏教では「貪欲」、「瞋恚」、「愚痴」を三毒という。
瞋恚(しんい)ーー自分の好ましくない人間への妬み
このような毒は持たないほうが良い。しかし本当にそこから離れることが出来るのか?
親鸞が言うような「煩悩具足の我ら」であるならば、欲から離れることは出来まい。
「脱成長」に舵を切るにしても、ぎりぎりの限界を目の当たりにするのでなければ人は動かない、というのが現実だ。
その限界を先送りすると批判されるだろうが、分配政策によって軌道修正することが、当面の政策ではなかろうか?
具体的な分配政策は、①消費税の引き下げ②法人税の引き上げ③富裕層への増税