江戸時代は家柄と士農工商で階級制度が成り立っていた。
階級が上だということが必ずしも富においても上だということにはならなかった。
孝明天皇(江戸時代末期)の食事の貧しさ、酢のような酒をわずかに飲んでいたことなどの記述がある。
「武士は食わねど高楊枝」なども同じようなことだろう。
太宰治「津軽」の次の文章も味がある。
「私は自身古くさい人間のせいか、武士は食わねど高楊枝などという、ちょっとやけくそにも似たあの馬鹿々々しいやせ我慢の姿を滑稽に思いながらも愛しているのである」
眼を現在に転じてみると、
90年代初頭のバブル崩壊以降、所得格差の一途をたどり、特にひとり親世帯や高齢者世帯の貧困率が高くなっている。
これは、この間ほぼ政権を担っていた自民党と公明党の合体政権の責任だが、万人に平等な選挙権を行使しなかった有権者の責任でもある。
日本人は必ずしも正直・率直でなく、その場に適合するように相手に口を合わせて事実を言わない傾向がある。
「長い物には巻かれろ」ということだ。
だからメディアの世論調査などはあまり信用できないということになる。
もっとも、このところの岸田政権の支持率下落は、国民がもはや「忖度」の必要なしと見限ったのだろう。
選挙になっても「忖度」などしないほうが良い。
閉塞感あふれる現在の危機を乗り越えるためには、伝統によって形成された民族文化を見直すことだ。
それは一部保守派が主張するような戦前の一時期の回帰ではなく、江戸時代の庶民の暮らしを見直すべきだろう。
生活する上において割と平等だったということ。