(1937年)中原中也死去
その前年(1936・昭和11年)に長男文也が亡くなったのをきっかけに、精神に変調を来たしたと言われる。
そして、結核性脳腫瘍を発病、入院するも脳膜炎を併発し息を引き取った。
多くの詩を遺したが、生前出された詩集は『山羊の歌』のみ。
『在りし日の歌』は没後出版されたもの。
その中に収録されている自分の好きな作品をひとつ紹介したい(ただ全文は長いので冒頭部のみ)。
「春日狂想」より抜粋(作・中原中也)
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業が深くて、
なほもながらふことともなつたら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。