川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

10月26日/ 今日は何の日

2012-10-26 00:15:00 | スポーツ

(2010年)タコのパウル君死去

ドイツの水族館で飼われていたマダコのパウル君が一躍時のタコ?となったのは、サッカー・ドイツ代表の国際試合の予想を次々と的中させてから。
EURO2008では6試合中4試合を当てるが、この時はまだ大して話題にならず、本格的にその名が広まったのは、2010年・ワールドカップ南アフリカ大会に於いて。
8試合を予想し、何とその全てを当てるという離れ業をパウル君はやってのけた。
準決勝でドイツが負けることを予想したり、ドイツの出ない決勝戦(スペイン対オランダ)もずばり的中させたのが凄い(ドイツの水族館員が特定の餌を用いるなどしてドイツ有利の演出をした訳でなく、純粋に予想させていたことがこれにより分かる)。

世界的な人気を獲得したパウル君であったが、ワールドカップ後、程なくして亡くなった。
タコの寿命がそんなに長くないことを、僕はこの時初めて知った。
南ア大会と聞くと、戦前の予想を覆す日本代表の快進撃(大会が始まる直前まではほんとに状態が悪くて、3戦全敗でグループリーグ敗退が濃厚と見られていた)とパウル君のことを思い出す。


10月25日/ 今日は何の日

2012-10-25 00:15:00 | 忌日

(1968年)村岡花子死去

生誕の日にも女史については綴ったが(過去記事~6月21日/今日は何の日)、自分が『赤毛のアン』に思い入れがある為、彼女について何か綴る際、いつもそれに偏った視点で書いてしまいがちになるが、女史は我が国に、アンに限らず多くの優れた児童文学を翻訳・紹介した功労者である。
日本の出版界は(女史の言葉を借りれば)「家庭文学」が極めて貧弱で、豊かな家庭環境生成の為にはそれが必要との思いが活動の原動力となっていた。
以下に手掛けた主な作品を記すが、今や誰もが知る作品ばかりだ。


マーク・トウェイン『王子と乞食』『ハックルベリー・フィンの冒険』

エレナ・ポーター『少女パレアナ』『パレアナの青春』

ウィーダ『フランダースの犬』

ウェブスター『あしながおじさん』

バーネット『小公女』

ディケンズ『クリスマス・カロル』

ヨハンナ・スピリ『アルプスの少女』


10月24日/ 今日は何の日

2012-10-24 00:15:00 | スポーツ

(1989年)近鉄・加藤哲郎投手「巨人はロッテより……」

プロ野球日本シリーズ第3戦・巨人対近鉄は、近鉄が勝利。
戦前の巨人優勢の予想を覆しこれで3連勝、日本一に王手をかけた。

この第3戦後のヒーローインタビューで〈事件〉は起こった。

その日先発を務めた近鉄の加藤哲郎投手が「シーズンの方がしんどかった」等と発言、それを各マスコミは「巨人はロッテよりも弱い」と言ったと報じたのである。
シーズン最下位のロッテにも及ばない、と相手にコケにされたように受け取った巨人ナインがこれで発奮。
そこから怒濤の4連勝を飾り、逆転で日本シリーズを制することとなった。

加藤自身は「ロッテより……」とは言ってないと証言する。
確かに、お立ち台でそんな答え方はしてなかった、と僕も記憶する。
ただ、あの時の数々の余裕発言を意訳(超訳?)すれば、第三者にああいう解釈をされても無理はなく、決してマスコミの報じ方が悪意に満ちたものだったとは言えない。
要は「口は災いの元」。
言葉ひとつで人生は変わる、その現実を目にした〈事件〉だった。

スポニチ~日めくりプロ野球10月


10月23日/ 今日は何の日

2012-10-23 00:15:00 | その他

(1981年)写真週刊誌『フォーカス』創刊

80年代から90年代前半にかけて一世を風靡した写真週刊誌。
その先陣を切って創刊されたのが新潮社の『フォーカス』で、その内容の充実度・売り上げ共に他誌よりも頭ひとつ、いやふたつ以上飛び抜けていた。
スクープの数も圧倒的に多かった。

僕は、写真週刊誌にはどちらかというと否定的な立場だったので、『フォーカス』を買うことは一度もなかった(あんなペラペラだとお金を出すのがもったいないという単純な理由もあった)。
ただ評価出来る点もあって、特に桶川ストーカー殺人事件を追う執念は、見事な調査報道を実現させた。
あれがなければ、警察の失態共々闇に葬られるところだった。

そんな『フォーカス』もとっくに休刊。
出版界を賑わせた写真週刊誌も、現在残るのは先に挙げた『フライデー』と光文社の『フラッシュ』のみ。


10月22日/ 今日は何の日

2012-10-22 00:15:00 | 忌日

(1937年)中原中也死去

その前年(1936・昭和11年)に長男文也が亡くなったのをきっかけに、精神に変調を来たしたと言われる。
そして、結核性脳腫瘍を発病、入院するも脳膜炎を併発し息を引き取った。

多くの詩を遺したが、生前出された詩集は『山羊の歌』のみ。
『在りし日の歌』は没後出版されたもの。
その中に収録されている自分の好きな作品をひとつ紹介したい(ただ全文は長いので冒頭部のみ)。



「春日狂想」より抜粋(作・中原中也)

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。