やはり、荒船山の遺体は、「クレヨンしんちゃん」の作者臼井儀人さん享年51歳のようだ。
毎日新聞のニュースで先程確認した。
以前、「おじゃる丸」の作者犬丸りんさんが亡くなってしまったが、子供たちに人気のあるアニメの作者が、アニメ放映中になくなってしまうのは、とても哀しい出来事だと思う。
かつて、日本の少年漫画の世界では、人気絶頂時に過労のため作者が急死することが度々起きた。
『少年クラブ』(講談社)連載「ふしぎな國のプッチャー」の作者、横井福次郎先生、1948年12月5日死去享年36歳、『漫画少年』(学童社)連載「バット君」の作者、井上一雄先生、1949年5月3日死去享年35歳、『冒険王』(秋田書店)連載「イガグリくん」の作者、福井英一先生、1954年6月26日死去享年33歳、『少年画報』(少年画報社)「ビリーパック」連載の作者、河島光広先生、1961年3月19日死去享年30歳、全てその少年雑誌の看板作品であり、作者としても代表作の連載途中に急逝されてしまったのだ。
戦後の日本漫画界発展の影には、子供たちのために命をかけて健全な少年漫画を描き続けた人達が実在する。
そのことに対して、テレビなどでマンガコラムニストをなのり、本来は漫画家でもあったのだがエロやパロディなどしか描いていないある有名な人物は、東京都江東区にある森下文化センターで行われた講演の中で、
私は、漫画なんかのために命をかけることなんか出来ないから。
と、笑いながら話していた。
ネット上では、熱狂的なファンもいる、その人の人気とは裏腹な人柄がわかる出来事だった。
何も笑いながら、話すことはないと私は、思うのだが・・・
こういったところで、人気漫画家さんに成れた人達と、評論家をなのり漫画を語る人達の漫画にたいする思いの違いや、人間としての人柄までもがわかってくると私は思う。
赤塚不二夫先生についても、その追悼展に駆け付けてブログなどでコメントする漫画評論家をなのる人達が少ないのは何故だろうか?
私は、まず一人の人間として、評論家などという人種にだけはなりたくないと思う。
子供の頃に感動した作品、楽しく読んだ作品、それを描いてくれた先生達と作品に、心から敬意を表していきたいと思う。
本当に漫画が好きで研究をしているのなら、それくらいのことは当然の義務であるはずなのに敬意を表するどころか笑いながら冗談のネタにするなんて・・・
何故そんなことが出来るんですか?
マンガコラムニストの夏目房之介さん!!
毎日新聞のニュースで先程確認した。
以前、「おじゃる丸」の作者犬丸りんさんが亡くなってしまったが、子供たちに人気のあるアニメの作者が、アニメ放映中になくなってしまうのは、とても哀しい出来事だと思う。
かつて、日本の少年漫画の世界では、人気絶頂時に過労のため作者が急死することが度々起きた。
『少年クラブ』(講談社)連載「ふしぎな國のプッチャー」の作者、横井福次郎先生、1948年12月5日死去享年36歳、『漫画少年』(学童社)連載「バット君」の作者、井上一雄先生、1949年5月3日死去享年35歳、『冒険王』(秋田書店)連載「イガグリくん」の作者、福井英一先生、1954年6月26日死去享年33歳、『少年画報』(少年画報社)「ビリーパック」連載の作者、河島光広先生、1961年3月19日死去享年30歳、全てその少年雑誌の看板作品であり、作者としても代表作の連載途中に急逝されてしまったのだ。
戦後の日本漫画界発展の影には、子供たちのために命をかけて健全な少年漫画を描き続けた人達が実在する。
そのことに対して、テレビなどでマンガコラムニストをなのり、本来は漫画家でもあったのだがエロやパロディなどしか描いていないある有名な人物は、東京都江東区にある森下文化センターで行われた講演の中で、
私は、漫画なんかのために命をかけることなんか出来ないから。
と、笑いながら話していた。
ネット上では、熱狂的なファンもいる、その人の人気とは裏腹な人柄がわかる出来事だった。
何も笑いながら、話すことはないと私は、思うのだが・・・
こういったところで、人気漫画家さんに成れた人達と、評論家をなのり漫画を語る人達の漫画にたいする思いの違いや、人間としての人柄までもがわかってくると私は思う。
赤塚不二夫先生についても、その追悼展に駆け付けてブログなどでコメントする漫画評論家をなのる人達が少ないのは何故だろうか?
私は、まず一人の人間として、評論家などという人種にだけはなりたくないと思う。
子供の頃に感動した作品、楽しく読んだ作品、それを描いてくれた先生達と作品に、心から敬意を表していきたいと思う。
本当に漫画が好きで研究をしているのなら、それくらいのことは当然の義務であるはずなのに敬意を表するどころか笑いながら冗談のネタにするなんて・・・
何故そんなことが出来るんですか?
マンガコラムニストの夏目房之介さん!!