一枚の写真がある。
48.9熱海の文字があるから1973年9月にうちの家族と、従兄弟の家族が一緒に祖父母のために熱海へ旅をした時のものだ。
この写真を伯父が写した時のことは良く憶えている。
まだ幼い僕を中心に後ろに父がいて、右手に祖母と母。
左手に3才上の従兄弟と姉、その後ろに祖父。
一番左手が母の姉である伯母だ。
幼い日の僕にとって大切な人が皆一緒に写っている写真は、これしかない。
この時から11年の間に祖父母も父も皆亡くなってしまった。
おばあちゃんは七年後、僕が中2の春、6月9日に亡くなり、おじいちゃんは高1の秋、11月3日に亡くなり、お父ちゃんは、高3の春5月19日に亡くなった。
父は胃癌が再発したためである。
高2の7月5日に再入院したので一年近い病院での闘病生活だった。
当時、非行少年達との度重なる喧嘩のため退学寸前の不良少年だった僕が父に対して出来ることは、せめて高校ぐらいは卒業することであり、もし出来ることなら大学へも進学出来たら父は喜ぶだろうと考えた。
私の通っていた高校は、公立ながら、偏差値は普通以下のため、推薦以外でまともな大学へ進学出来る者はいない。
ましてや私は、退学寸前の札付きの不良少年である。私は、大好きだった父の再入院を機に改心し、人生で初めて勉強をしたのである。
学校での成績は、父が入院してから一年近くの間に文系で学年トップになっていたのだが、私のいた高校では、いくらテストの点が良くても、停学をくらった者に大学への推薦はしてくれない。
父が亡くなってしまうと、いくらテストで良い点をとっても意味が無く、全てが虚しくなり、何もやる気がしなくなってしまった。
そんな時、テレビの深夜放送で映画・華麗なるギャッツビーを見た。
華麗なるギャッツビーを見て考えが変わった。
どんな境遇にあろうとも、くじけず努力さえ続ければ報われることもある。
精一杯努力して、それでも駄目ならそれはそれで仕方がない。
その時は、潔く諦めよう。そんな風に思うようになったのだ。
同じ高校に友人がいない私を励ましてくれた森田健作の歌がある。
友達よ泣くんじゃない
友達よ泣くんじゃない
今はつらいけど
友達よ泣くんじゃない
明日は晴れるから
君の胸の奥は いつも熱いあらし
何をしても 苦しいせつないこの毎日
友達よ泣くんじゃない
誰も今はそうさ
友達よ泣くんじゃない
話してあげるから
友達よ行くんじゃない
逃げてどうなるか
友達よ行くんじゃない
ここにも夢がある
恋に悩み時も 愛をさがす時も
何をしても 苦しいせつないこの毎日
友達よ行くんじゃない
みんな君の見方
友達よ行くんじゃない
見つめてあげるから
おれは男だ!挿入歌
作詞:阿久 悠
一浪後私は、明治学院大学へ進学する。
父が私のために遺しておいてくれた学費以外は、学校までの交通費から教科書代、食費、サンフランシスコへのホームステイの費用まで含めて全て自前で用意した。
成績優秀のため、4年間奨学金が貰えたし、学生イベントのパーティーや、北海道へのスキーツアーを主催して、莫大な利益も手に入れた。
当時流行りの六本木のディスコの黒服や川崎 King & Queenのオープニングスタッフ、ANA系列の旅行会社で添乗員のアルバイトも始めた。
そんな私が好きだった曲。
ひとり旅
まぼろしの みどり求めて
ただひとり 燃える荒野を
しあわせを 知らぬ男が
馬の背に ゆられて行くよ
ララララララ ラララ
砂あらし 吹きまく中に
想い出の 涙かくして
よろこびを 知らぬ男が
つむじ風 飛ばして行くよ
ララララララ ラララ
星ひとつ 遠く仰ぎて
ふるさとを 捨てて幾年
悲しみを 知らぬ男が
北風と ならんで行くよ
ララララララ ラララ
我が友は 流れる雲と
花ひとつ 川のささやき
淋しさを 知らぬ男が
陽炎に まじって行くよ
ララララララ ラララ
アイアンキング・エンディング曲より
作詞:佐々木 守
それから随分長いこと、添乗員として日本全国旅をするようになるのだが、一番幸せだったのは、幼い日に父や祖父母と一緒に熱海に行った時である。
旅は、何処へ行くかではなく、誰と行くかがとても大切な気がする。
私が今も旅が好きなのは、この時の幸せな想い出が今も心の中にあるせいなのかも知れないな。
48.9熱海の文字があるから1973年9月にうちの家族と、従兄弟の家族が一緒に祖父母のために熱海へ旅をした時のものだ。
この写真を伯父が写した時のことは良く憶えている。
まだ幼い僕を中心に後ろに父がいて、右手に祖母と母。
左手に3才上の従兄弟と姉、その後ろに祖父。
一番左手が母の姉である伯母だ。
幼い日の僕にとって大切な人が皆一緒に写っている写真は、これしかない。
この時から11年の間に祖父母も父も皆亡くなってしまった。
おばあちゃんは七年後、僕が中2の春、6月9日に亡くなり、おじいちゃんは高1の秋、11月3日に亡くなり、お父ちゃんは、高3の春5月19日に亡くなった。
父は胃癌が再発したためである。
高2の7月5日に再入院したので一年近い病院での闘病生活だった。
当時、非行少年達との度重なる喧嘩のため退学寸前の不良少年だった僕が父に対して出来ることは、せめて高校ぐらいは卒業することであり、もし出来ることなら大学へも進学出来たら父は喜ぶだろうと考えた。
私の通っていた高校は、公立ながら、偏差値は普通以下のため、推薦以外でまともな大学へ進学出来る者はいない。
ましてや私は、退学寸前の札付きの不良少年である。私は、大好きだった父の再入院を機に改心し、人生で初めて勉強をしたのである。
学校での成績は、父が入院してから一年近くの間に文系で学年トップになっていたのだが、私のいた高校では、いくらテストの点が良くても、停学をくらった者に大学への推薦はしてくれない。
父が亡くなってしまうと、いくらテストで良い点をとっても意味が無く、全てが虚しくなり、何もやる気がしなくなってしまった。
そんな時、テレビの深夜放送で映画・華麗なるギャッツビーを見た。
華麗なるギャッツビーを見て考えが変わった。
どんな境遇にあろうとも、くじけず努力さえ続ければ報われることもある。
精一杯努力して、それでも駄目ならそれはそれで仕方がない。
その時は、潔く諦めよう。そんな風に思うようになったのだ。
同じ高校に友人がいない私を励ましてくれた森田健作の歌がある。
友達よ泣くんじゃない
友達よ泣くんじゃない
今はつらいけど
友達よ泣くんじゃない
明日は晴れるから
君の胸の奥は いつも熱いあらし
何をしても 苦しいせつないこの毎日
友達よ泣くんじゃない
誰も今はそうさ
友達よ泣くんじゃない
話してあげるから
友達よ行くんじゃない
逃げてどうなるか
友達よ行くんじゃない
ここにも夢がある
恋に悩み時も 愛をさがす時も
何をしても 苦しいせつないこの毎日
友達よ行くんじゃない
みんな君の見方
友達よ行くんじゃない
見つめてあげるから
おれは男だ!挿入歌
作詞:阿久 悠
一浪後私は、明治学院大学へ進学する。
父が私のために遺しておいてくれた学費以外は、学校までの交通費から教科書代、食費、サンフランシスコへのホームステイの費用まで含めて全て自前で用意した。
成績優秀のため、4年間奨学金が貰えたし、学生イベントのパーティーや、北海道へのスキーツアーを主催して、莫大な利益も手に入れた。
当時流行りの六本木のディスコの黒服や川崎 King & Queenのオープニングスタッフ、ANA系列の旅行会社で添乗員のアルバイトも始めた。
そんな私が好きだった曲。
ひとり旅
まぼろしの みどり求めて
ただひとり 燃える荒野を
しあわせを 知らぬ男が
馬の背に ゆられて行くよ
ララララララ ラララ
砂あらし 吹きまく中に
想い出の 涙かくして
よろこびを 知らぬ男が
つむじ風 飛ばして行くよ
ララララララ ラララ
星ひとつ 遠く仰ぎて
ふるさとを 捨てて幾年
悲しみを 知らぬ男が
北風と ならんで行くよ
ララララララ ラララ
我が友は 流れる雲と
花ひとつ 川のささやき
淋しさを 知らぬ男が
陽炎に まじって行くよ
ララララララ ラララ
アイアンキング・エンディング曲より
作詞:佐々木 守
それから随分長いこと、添乗員として日本全国旅をするようになるのだが、一番幸せだったのは、幼い日に父や祖父母と一緒に熱海に行った時である。
旅は、何処へ行くかではなく、誰と行くかがとても大切な気がする。
私が今も旅が好きなのは、この時の幸せな想い出が今も心の中にあるせいなのかも知れないな。
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