6月22日(水)
13/20℃(北海道上磯郡木古内)
(16日目)⑪ 奥州街道・松前道
木古内ー松前宿(終着地)ー函館
(五稜郭・箱館奉行所跡)
新青森ー(北海道新幹線・海峡線で青函トンネルを抜ける)ー木古内駅ー松前(三厩―松前間は江戸時代に松前藩が本土と行き来する航路があったが、今は民間航路もない)ー江戸時代の船着き場、松前福山波止場跡(青森・三厩港からの着港地)ー松前藩北前船繋留所跡ー道の駅・北前船松前ーうみかぜ(北前食堂)ー松前宿(118)ー城馬坂ー龍雲院の蝦夷霞桜ー松前城跡ー本丸御門ー御番所跡ー松前藩屋敷ー松前神社ー徳山大神宮ー大館跡(戦国時代の松前氏の本拠地か)ー光善寺(松前氏ゆかり寺)ー血脈桜ー松前藩屋敷跡ー松前桜資料館ー中川五郎治の碑ー専念寺ー旧松前線松前駅跡ー松前灯台ー弁天島ー木古内ー函館ー五稜郭・箱館奉行所跡ー(終着)
目的地の江戸最北の蝦夷地・北海道 松前藩・松前城に着いた
朝4時に起床、準備をして新青森から新幹線海峡線に乗り青函トンネルを抜ける
木古内(きこない)の海は朝靄で遠くが見えないが、時間とともに晴れてきた
北海道新幹線最初の駅 木古内駅にて下車、この間 47分 あっという間に北海道 何だか味気ないね
木古内から松前へは函館バスが走る
江戸時代にはあの青森・三厩から小舟で渡った松前の港 松前福山波止場跡を最初に歩く
既に桟橋などはなく土台をみる
津軽海峡を挟み対岸の三厩の港や龍飛岬は霞んでいてよく見えない
松前藩の藩主・殿さまも参勤交代で江戸へ参上するときはここから舟に乗り本土へと渡り江戸へ向かったのだが感慨深い
当時ここから本土へ、また江戸からここ蝦夷地へ帰着した時の想いなどを偲ぶ
江戸時代最北の蝦夷地、松前藩の跡を探して歩く 最後の松前宿に入る
松前藩は稲作がなく石高なしの藩で異色だったが、北前船での北方交易の拠点として栄え、蝦夷地と更に北方への警備の前線拠点として機能していた
遠隔地のため松前藩の参勤交代は3年、後に5年ごとに江戸に出ればよいという特例があった。
松前城(福山城ともいう)は慶長11年(1606年)に完成し、城下は海を見下ろし、そのすぐ近くに商人町や飲食街・遊女町があり、武家屋敷の多くが台地上にあるという異色の造りだったようだ
元々アイヌの人々の大地だったアイヌ・モシリだが、和人から蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、和人に横暴な侵略を繰り返されてついに <北海道> と名付けられ日本国に併合されたのは明治2年の事だったという。
現在ロシアによるウクライナ侵略戦争に見られるように、人類史はいずこも同じか、武力による侵略の歴史と言っていいほどで考えさせられる
松前藩の屋敷が再現されていたが、京都の映画村のようにリアルで江戸時代にタイムスリップしたみたいだ
白神岬から
当初は目標を歩き終えた後、松前から函館まで約6日間(歩き148㎞)で歩く予定でいたが、北海道警察や行政からの情報で一部熊の出没情報があり、熊の糞情報も多く、しかもこの間には宿泊施設もなにもなく、バスも一日数本しかないとのこと
もしもの時の避難場所がないとの事で自粛するようにとの事だったので既に目的は達成したので断念した
松前からまたバスで木古内へ
木古内から北海道新幹線で新函館北斗駅で函館へ出た
道南地図左下の◎が松前城跡、そこから歩く予定だった函館までの道には赤丸を含め何度もヒグマが出没しているようだ
(昨年の情報だが、年々増えていると言う)
その後、函館の五稜郭・箱館奉行所跡へ向かい終着とする
箱館(現 函館)五稜郭は箱館の5.6里四方を直轄地とした江戸幕府が、蝦夷地経営と対外関係処理や海防のため、新たに建設し直した箱館奉行所が置かれた城郭
マンホールのデザインも面白い
五稜郭に入る
最終地の江戸・箱館奉行所跡に着いた
箱館奉行所のある五稜郭は、外国船からの砲撃を避けるため海岸から2.5㎞ほど内陸に移され、元治元年(1864年)に完成
フランスの築城法を真似た星型の特異形から五稜郭と呼ばれた
戊辰戦争終結の地となったことでも有名だ
旅の終りは何となく淋しいものだ
だがこの達成感と充実感は感謝だ
この間、応援して頂いた多くの皆様に心から感謝とお礼を申し上げます
本当にありがとうございました
(16日目)⑪
20.31㎞ 27.830歩
累計 449.36㎞ 612.597歩
松前道 @一日平均値(延べ16日間
半日、雨など含む)
28.1 km 38.287歩
函館の街の広告板から きっと!