10月22日 9/16℃松本
母と男装の麗人
「男装の麗人」と言えば昔の人はすぐにあの清朝の皇族第10代粛親王善・の第14王女(愛新覚羅・・)また東洋のマタハリ或は満州のジャンヌダルクと言われた日本名・川島芳子を思うだろう。
私も何気なく映画やテレビのドキュメンタリー番組また数々の出版本から旧満州国建国の影で活動し、歴史に翻弄された方だと言う位の浅い知識でしかない。
今回松本に帰郷し、その川島芳子と同じ時期、同じ学校に通ってた母の存在を知る。
母は戦前の生活について私には一切何も話してくれなかったが、歳の離れた妹には時々思い出したように話していたようだ。
その叔母の話しによると、母は戦前 松本高等女学校に通う時、袴に洋服を着て通学していたと言う。当時そのスタイルは珍しく同じ生徒なのにみんな教師と思い挨拶され恥ずかしかったとか。
そしてその同じ学校にもう1人、馬に乗り通学していたのが川島芳子だったという。2人の存在は当時有名だったに違いない。
母と川島芳子にどんな接点があったかは知らないが、同じ学校でまさか母と川島芳子が同じ学舎にいたとは驚きだった。
先日初めて川島芳子についてnet上で検索したら凄い資料にびっくりするも、当時 母と同じ女学校に馬に乗り通学していた記載があり、それは事実だったようだ。
昭和初期の学業期の母はかなり豊かなお嬢様生活を過ごしたようだが、その後の父親の急死、敗戦、夫の死、戦後の困難な時期にあって母の生活も一転し、相当 苦労もしたようだが、もしあの川島芳子と関わり影響を受けていたならば、私はひょっとして満州国で生まれていたかも? な〜んて興味が湧く (笑)
(*これは2020年10/23のブログですが、今同じ日に同じ所にいて常念岳を見ながら思い出したので再掲します)
家から望む信州アルプス・常念岳
松本の街から
*写真はなぜか拡大できません😭
旧制松本高校は実家の近くにあり遊び場でもありました。ヒマラヤ杉の大木の中に今も当時の木造校舎が1部が残ります。昔、近くに親族の大きな下宿屋があり、松校の北杜夫などが出入りしていたと聞いてます。