6月3日(水) 19/30℃
教育の無償化
どこの国も国民がいて国家が成り立っている。 更にどこの国もしっかりとした教育を施し国力を高め、国を支える幅広い立派な人材を育てたいと懸命になる。
ところがその教育をビジネス化してしまった国のトップがアメリカだとのことだが、日本も年々それに追随しているように思える。
今の日本の教育は優れた学校や大学に入る為の競争のようなもので、選択試験の為に特定の教科には力を入れるものの受験に関係ないような科目は次々と疎かにされてきている。
その考え方は卒業後の就職や企業にもつながり、日本全体がその画一的な偏向教育により人間性が失われつつあり、貧富の差が増し、何だか社会全体が偏ってきているように思える。
多様な人がいてそれぞれに持つ個性や才能があり、それらを伸ばしつつ本来人間のあるべき姿を子供たちに幅広く教育するのが国家の責務であり、受ける国民の権利と義務であると思う。
その子供たちがやがて多様な分野で国を支え発展させていくのだから、その教育は公益であり全面的に国家が無償化するのは当然の事だ。
それらを当然のごとく実行している国々が世界にはいくつもあるが・・
例えばその一つ、今年2月に旅で訪れたフィンランドの子供たちの学力は世界トップクラスだと言う。
しかし宿題は一切無し、学校での勉強時間は短く1週間で20時間。 のび伸びと様々な遊びの中で学んでいくと。
学校の費用は全て無償で都市も地方も全国どこも同じレベルで多様な勉強をするも学校差はなく、選択テストもないとか。 だからか受験の塾もなく私立学校がごく僅かというのも面白い。
教師は生徒や学生が卒業後人間として幸福に生きることの為に全力で教え「教育は公益の国家利益」と国が公言する。
マイケル・ムーア監督の映画「世界侵略のススメ」に詳しいが、フランスの学校給食はどこも高級フランス料理店に負けない最高レベルで美味しく健康的で無償だとか。 子供たちが健康的な体力を保ち、やがてその子供たちが国家を支え、それが国力となるからと。
つい日本の給食と見比べてしまった。
アメリカでの学費があまりにも高く、学生の大半が卒業時に多額の借金を抱え、卒業後に仕事で返済せざるを得ないと言う実態があるようで、それは今の日本も同様になりつつある。
アメリカの大学を卒業した孫息子や、これから大学に入学する孫娘のアメリカでの現実を知るだけに、他人事では済まされない思いだ。
小国家・スロベニアでは留学生にも国民と同じ教育費無償と言うが、学費が払えずアメリカから留学している若者も多いというのは何とも皮肉な話しだ。
日本での教育無償化は、現在コロナ禍で話題の世界標準に合わせた9月入学移行への議論と共に、早期に大きな政治的決断が必要な時だと感じている。
今日はこの辺にして少し沸騰しかけた頭を冷やし、そろそろ昼寝とするかなー
ひねもすのたりのたりかな〜
さてどんな夢を見るか・・!?
・教育は国家の義務で公益だ
・教育をビジネスとする国家あり
・日本国教育レベルはガラパゴス
・国力は民の知力があってこそ 頑爺
南公園の散歩道から サツキの次はアジサイが咲き始めた
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