今日は、女性会で大変お世話になった飯塚委員長のお葬式でした。
生前の幅広い活動を裏打ちするかのような、非常に多くの参列者その誰もが、まだ信じられないそんな気持ちだったと思います。私は、おととしから飯塚委員長のもとでおもに広報活動をさせていただきました委員長は、どうやってお金をかけずに物事を進めていくかということを常々仰っていました女性会ではこれまでに、ロードマップを作ったりやいづ検定を作って、学校や公民館などに配ったりまた、地域に根付きつつある「であいふれあい交流会」を定期的に開催するなど地元の活性化に向けて活発な働きかけをしていながら、活動をアピールする場がそれまでは無かったのですが委員長の発案で親会さんが毎月発行している会議所ニュースで、紙面をもらえばお金もかからない隔月くらいでどうだと。これ、委員会の初顔合わせでのお話でたまたま隣同士に座っていた3人が指名され何か何だか分からないながらも、指名されて使命を感じた私たちはその場で会議所の担当者に来てもらって話をつけ手書きの「女性会かわら版」がスタートしたという各委員会からの報告や、先を読んだ取材活動私が起こした文章を、伊東さんが手書きで仕上げる下書きが出来て、委員長のもとにファックスが送られると必ず電話がかかってくる「すごくいい」私たちは毎回毎回ほめ殺しに猿もおだてりゃ木に登るって言いますけどなんだか半分騙されてるみたいな気持ちで作り続けたかわら版は2年で10紙今年度に入ってからは完全隔月に変更し、1年に6つ作る勘定紙面も、それまでの3/5面から1面に増やしでも、手書きで一面はキツいので半分は、さまざまな方からの寄稿で同時に、2人残ったメンバーが居なくなっても続けられるような体制づくりも進めていますこれも、もとはと言えば委員長の心配り現在は、コミュニティまちおこしであいふれあいの各委員会から締め切りにあわせて記事をいただきそして、「やったことの報告よりも、これからやることを載せてもらいたい」とも言われてまして今日のご友人の弔辞にもありましたがとにかく早い急ぎ過ぎる強引なくらい、常に先手先手を打っていく人でした女にしとくのもったいないっていうのは、こういう人のことを言うんだなと女性会の中でもカラーが強くストレートな言い回しで、いやな思いをされた方もいらっしゃったでしょう当初は私もそのうちの一人でしたが・・・一緒に活動してみれば分かるハートの暖かさ日中の会合に行くと、部下の分までドーナツを用意してくれました。「あなたも立場があるでしょう」また、女性会の肩書で出た外部団体の会合などでもらった”外貨”は、すべて私たちのために使ってくれました「私の部下じゃあないけど・・・本当にありがとう」と。アメとムチを上手に使う委員長を、私たちはいつしか「親びん」と呼び、慕っていました冷酒が大好きで酔っぱらってくると「いえっさー」きたきたっもう水飲ませないとダメだよと、みんなよく言ったものです。 私が忘れられないのは、11月下旬のセミナーが終わったあと遅い時間に会長と3人で飲みに行った時のことです会長が席を立った、わずかな時間のことでした。委員長、飲みながら泣いてるんです声をかけると、「私のやることは、終わった。」と仰ったので、「何言ってるんですか一期2年のうちの1年も終わってないのに」と返すと、「今季、計画したことはすべてやった。」と言うんです「新春会もこれからだし、新聞だって3月号あるし。」「それは最初の計画になかった。でも、やることになったからやる新聞はもう原稿も頼んであるから」その時は、なんでこんなこと言うのかなぁと不思議に思ってましたが、今思うと計画したことは全てきれいにやり切ったとやるべきことは、すべてやったと話していたのかもしれません。もっとちゃんと聞けばよかったかなぁ・・・
「やるんだっやると決めたら、絶対やるんだよぉ」と、強い口調で叱咤激励されたことあの、独特な言い回し酔っぱらって「いえっさー」が出た時のことセミナーの前、みんなお腹がすくだろうと花道のお好み焼き買って来てくれたこと山いちのおいしいお茶を、たぶんこっそり持って来て、みんなに淹れてくれたこと米粉ドーナツやお菓子を持って来てくれたこと「そんなの、へのかっぱ」って、自分が盾になって悪者になってくれたこと一回最低20分の長電話もう、かかってこないんだなぁ・・・思い出は尽きません。
飯塚委員長が居なくなっても、女性会は会長のもと活動を続けなければなりません。まだ、今年度3か月残ってるんだから委員長が残していってくれた遺志を胸に、一丸となって活動を続けいい報告が出来るように、みんなで頑張っていきたいと思います
女性会の前に道はない。女性会のあとに道はできる。
私たちは開拓者です。既存に捉われず、よりタイムリーなものを目指し、いいものは続けていく。家庭と仕事を優先した中での女性会の活動は、何よりもみんなが笑顔でいられる態勢を最優先し、それを女性会の風土にしていけたらと思います。なんだか生意気なこと書いちゃいましたけど、それが10年20年先を見据えた活動に繋がると信じているし、それが地元の活性化にも繋がるはずです。それから、飯塚委員長にこれまで散々「ありがとうございました」って言ってきたけど、この場に及んでなぜか言えないのは、「ありがとうございました」って過去形で終わらせたくない気持ちが強いことと、委員長がたぶんまだ生きているからだと思います姿を見ることはできないけど、これからは「天の声」で私たちをいい方向に導いていって欲しい。そんなふうに思います。
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