年度末になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。ちなみに、こちらの会計年度はアメリカ式に習い、10月始まりの9月終わりです。
1.平成24年2月の活動
JICAへ第2号報告書を提出しました。今号の目的は、「今後の活動について配属先と協議・合意のうえ具体的な活動計画表を作成する」こと。住民と協働した収集地域の拡大を主な活動内容とし、同僚や上司と話し合ったうえで、2年間の計画書を作成しました。(詳しくは「2年間の計画」)
18~24日には、12月に予備調査を行ったJ-AWARE2の本番ということで、埋立場で一週間の調査を行いました。目的は、誰がどれくらいのごみを持ち込んでいるかを把握することですが、大量のダンボールやヤシの木、時には車等も持ち込まれ、チュークの生活実態を知ることもできました。他州でも同様の調査が行われており、それらをまとめた報告書を作成中です。(詳しくは「J-AWARE2」)
26~3月1日には、EIA(環境影響評価)ワークショップが全州合同で実施されました。EIAとは、ある事業を行う場合に起こり得る環境影響を事前に把握し、環境負荷をなるべく小さくするもの。日本では環境アセスメントと呼ばれているものです。これには、どの事業を対象とし、どの程度まで環境負荷を低減させるかといった基準を定める必要があるため、現在、ミクロネシアの各州でガイドラインを作成中です。
今回のワークショップでは、その進捗状況を発表し合い、各州における取り組みや実際の事例などの他、SPREP(太平洋地域環境計画事務所)による専門家からのコメントもあったため、大変参考になりました。また、それと同時に会議を通して環境に関する英語の知識が不足していることを痛感しました・・・。
各州の発表の中で一番印象的だったのは、気候変動に関する事例。ミクロネシアには最近では1997~98年と2007~2008年の2回、超大型の台風が来て、食料危機が起こったこと。年間で最も潮位が高くなるキングタイド<King Tide>(満潮のことを英語ではハイタイド<High Tide>といいます)の際に、一部の地域で床下浸水が起こるようようになり、タロイモなどの畑に塩害が起きていることなどを知りました。
私もチュークに来てから海外沿いのヤシの木が倒れているのを見た時は驚きました。これも海面上昇による海岸の浸食が原因とのこと。日本にいた頃は、海に沈む危険性があるツバルという国のことを知ってはいましたが、正直に言って、気候変動による自然への影響はまだまだこれからだと思っていた節がありました。しかし、近年では北極の氷が急速に溶けているとのニュースの通り、太平洋のど真ん中にある海抜の低い小さな島国では、実際にその影響を受けているのです。ミクロネシアでは、毎年数ミリずつ海面が上昇している調査もあるそうです。
けれども、太平洋の国々がどれだけ声をあげようと、大国の耳には届きません。そこで、ミクロネシアの政府は、海面上昇が今後さらに起こることを前提として踏まえ、いかにして海面上昇に対応し、被害を最小限にすることができるかということを考えています。
気候変動についてはCOP(気候変動枠組条約締約国会議)の中で各国が様々議論しており、これには、私の配属先の同僚もこれまで度々参加しています。帰って来てから聞かされるのは、日本の態度が曖昧だということ。この声には耳が痛いです。先進国の責任として、小さな島国でこうした現状が起こっているということを、一人でも多くの人に知ってもらいたいと思います。
2.チュークにおける5回忌
7日には、ホストファザーの父シゲトさんの5回忌がありました。シゲトさんは日本の統治時代に夏島と呼ばれていた島の酋長をやっていた方。他にも様々チュークに貢献された方なので、海外からも大勢の親戚が集まり、式典も盛大に行われました。シゲトさんの父シゲルさんは日本人で長崎県佐世保市出身。ですので、お墓もキリスト式と日本式の二つが設置されています。
ちなみに、ホストファザーの兄弟には、上智大学で学位を取った長男がおり、日本語もペラペラ。恵まれた家に住まわせてもらっていることを実感するとともに、日本との深いつながりを改めて感じました。(詳しくは「おじいさんの5回忌」)
また、週末にはJICAの隊員と共に山登りをし、日本統治時代に作られた防空壕や大砲を見てきました。(詳しくは「南の島の防空壕と大砲」)
3.この1か月を振り返って
様々なイベントがあり、あっという間に過ぎ去ってしまったこの1カ月。しかし、2年間の計画書を提出したことで、配属先とも活動を共有し、取り組むべきことがより明確になりました。日本からのごみ収集車は、チューク州政府の手続きが遅れてしまったことから、4月下旬に到着する予定となりましたが、ごみ収集地域拡大に向けてのパイロットプロジェクトは徐々に内容を詰めています。大きなプロジェクトとなりますので、収集車メンテナンスの環境整備とあわせて、しっかりと進めていきます。
また、EIAワークショップを通じて英語力不足を痛感したことから、JICAの隊員の配属先の高校から環境に関する英語の教科書を借り、勉強を始めました。日本語での知識がいくらあっても、ここは海外。やはり語学は必須です。
そして、東日本大震災よりもうじき1年が経ちます。チュ―ク人からは、「津波の時どうしていたのか」ということを今になっても聞かれます。あの時、市役所で体験した地震や、津波の映像、その後の非日常的な生活は今でも頭から離れません。被災者の皆様に心からお悔やみ申し上げるとともに、このような時にこの場で活動できることに感謝し、チュークの人達には日本が大丈夫だということを今後も伝えていきます。
平成23年度1次隊 チューク州 前川健一
1.平成24年2月の活動
JICAへ第2号報告書を提出しました。今号の目的は、「今後の活動について配属先と協議・合意のうえ具体的な活動計画表を作成する」こと。住民と協働した収集地域の拡大を主な活動内容とし、同僚や上司と話し合ったうえで、2年間の計画書を作成しました。(詳しくは「2年間の計画」)
18~24日には、12月に予備調査を行ったJ-AWARE2の本番ということで、埋立場で一週間の調査を行いました。目的は、誰がどれくらいのごみを持ち込んでいるかを把握することですが、大量のダンボールやヤシの木、時には車等も持ち込まれ、チュークの生活実態を知ることもできました。他州でも同様の調査が行われており、それらをまとめた報告書を作成中です。(詳しくは「J-AWARE2」)
26~3月1日には、EIA(環境影響評価)ワークショップが全州合同で実施されました。EIAとは、ある事業を行う場合に起こり得る環境影響を事前に把握し、環境負荷をなるべく小さくするもの。日本では環境アセスメントと呼ばれているものです。これには、どの事業を対象とし、どの程度まで環境負荷を低減させるかといった基準を定める必要があるため、現在、ミクロネシアの各州でガイドラインを作成中です。
今回のワークショップでは、その進捗状況を発表し合い、各州における取り組みや実際の事例などの他、SPREP(太平洋地域環境計画事務所)による専門家からのコメントもあったため、大変参考になりました。また、それと同時に会議を通して環境に関する英語の知識が不足していることを痛感しました・・・。
各州の発表の中で一番印象的だったのは、気候変動に関する事例。ミクロネシアには最近では1997~98年と2007~2008年の2回、超大型の台風が来て、食料危機が起こったこと。年間で最も潮位が高くなるキングタイド<King Tide>(満潮のことを英語ではハイタイド<High Tide>といいます)の際に、一部の地域で床下浸水が起こるようようになり、タロイモなどの畑に塩害が起きていることなどを知りました。
私もチュークに来てから海外沿いのヤシの木が倒れているのを見た時は驚きました。これも海面上昇による海岸の浸食が原因とのこと。日本にいた頃は、海に沈む危険性があるツバルという国のことを知ってはいましたが、正直に言って、気候変動による自然への影響はまだまだこれからだと思っていた節がありました。しかし、近年では北極の氷が急速に溶けているとのニュースの通り、太平洋のど真ん中にある海抜の低い小さな島国では、実際にその影響を受けているのです。ミクロネシアでは、毎年数ミリずつ海面が上昇している調査もあるそうです。
けれども、太平洋の国々がどれだけ声をあげようと、大国の耳には届きません。そこで、ミクロネシアの政府は、海面上昇が今後さらに起こることを前提として踏まえ、いかにして海面上昇に対応し、被害を最小限にすることができるかということを考えています。
気候変動についてはCOP(気候変動枠組条約締約国会議)の中で各国が様々議論しており、これには、私の配属先の同僚もこれまで度々参加しています。帰って来てから聞かされるのは、日本の態度が曖昧だということ。この声には耳が痛いです。先進国の責任として、小さな島国でこうした現状が起こっているということを、一人でも多くの人に知ってもらいたいと思います。
2.チュークにおける5回忌
7日には、ホストファザーの父シゲトさんの5回忌がありました。シゲトさんは日本の統治時代に夏島と呼ばれていた島の酋長をやっていた方。他にも様々チュークに貢献された方なので、海外からも大勢の親戚が集まり、式典も盛大に行われました。シゲトさんの父シゲルさんは日本人で長崎県佐世保市出身。ですので、お墓もキリスト式と日本式の二つが設置されています。
ちなみに、ホストファザーの兄弟には、上智大学で学位を取った長男がおり、日本語もペラペラ。恵まれた家に住まわせてもらっていることを実感するとともに、日本との深いつながりを改めて感じました。(詳しくは「おじいさんの5回忌」)
また、週末にはJICAの隊員と共に山登りをし、日本統治時代に作られた防空壕や大砲を見てきました。(詳しくは「南の島の防空壕と大砲」)
3.この1か月を振り返って
様々なイベントがあり、あっという間に過ぎ去ってしまったこの1カ月。しかし、2年間の計画書を提出したことで、配属先とも活動を共有し、取り組むべきことがより明確になりました。日本からのごみ収集車は、チューク州政府の手続きが遅れてしまったことから、4月下旬に到着する予定となりましたが、ごみ収集地域拡大に向けてのパイロットプロジェクトは徐々に内容を詰めています。大きなプロジェクトとなりますので、収集車メンテナンスの環境整備とあわせて、しっかりと進めていきます。
また、EIAワークショップを通じて英語力不足を痛感したことから、JICAの隊員の配属先の高校から環境に関する英語の教科書を借り、勉強を始めました。日本語での知識がいくらあっても、ここは海外。やはり語学は必須です。
そして、東日本大震災よりもうじき1年が経ちます。チュ―ク人からは、「津波の時どうしていたのか」ということを今になっても聞かれます。あの時、市役所で体験した地震や、津波の映像、その後の非日常的な生活は今でも頭から離れません。被災者の皆様に心からお悔やみ申し上げるとともに、このような時にこの場で活動できることに感謝し、チュークの人達には日本が大丈夫だということを今後も伝えていきます。
平成23年度1次隊 チューク州 前川健一