バブル期を経、リーマンショックを経験し、日本の経済が不透明な時代にふさわしい家族の物語。
町工場を経営していたが今は闇金からの取立てに追われ夜逃げをする 父に平幹二朗。
一流会社でエリートでいたはずが海老の投資話ですっかりおちぶれて、父の廃墟となった工場に隠れている息子に佐々木蔵之介。
闇金の取立て屋なのにどうしても人の良さがでてしまう男に溝端淳平。
この配役だからこそ、この脚本が生かされたのかと思う。
夜逃げして出て行った父を恨みつつ心の底では父の背中を見て育った工場を愛し、下町の暮らしに心を残している息子は、その寂れた廃墟の工場で10年ぶりに闇金の取立てに追われる父に出会う。冷たくしながらも年老いた父をかばってしまう。エリートになりきれなかった真面目で小心の息子の役に、佐々木蔵之介は、平幹二朗の父に対し、役ではなく本当の父や尊敬する役者としての敬意を持って演じているようだ。
平幹二朗は、したたかで煮ても焼いても食えないが、息子や家族にしてしまった仕打ちを悔いていて、しかし時代に飲み込まれて抜け出せなかった町工場の経営者の悲哀を年老いた老人としてではなく、たまにぼけながらも若々しく演じている。この父があってこそ芝居が回り、この先の見えないどん底の状況を明るい印象に感じさせている。
溝端淳平にとっては芸達者の二人にも引けをとらない明るい演技で、現代の若者の生きずらさをしっかりと見せていた。
永井愛は「こんにちは、母さん」でたくましい女性の生き様をみせてくれた。「こんばんは、父さん」では今の時代が男性にとってつらいものであっても、どこかに希望は必ずあるとエールを送っているようだ。
最後に息子の佐々木蔵之介が、自分の子供のために隠しておいた高級時計を、父の借金の返済のためと取立て屋の立場を救うために手放し、それを父が孫を思ってすまないと思うシーンは、救いと悲しみがあいまって切ない。
また、息子が亡くなった母を語る場面も、我が母の生き方を語られているようで、少し涙ぐんでしまった。
場面展開も無い短い作品だが、役者の力と脚本の妙が織り成す、素敵な舞台だった。
町工場を経営していたが今は闇金からの取立てに追われ夜逃げをする 父に平幹二朗。
一流会社でエリートでいたはずが海老の投資話ですっかりおちぶれて、父の廃墟となった工場に隠れている息子に佐々木蔵之介。
闇金の取立て屋なのにどうしても人の良さがでてしまう男に溝端淳平。
この配役だからこそ、この脚本が生かされたのかと思う。
夜逃げして出て行った父を恨みつつ心の底では父の背中を見て育った工場を愛し、下町の暮らしに心を残している息子は、その寂れた廃墟の工場で10年ぶりに闇金の取立てに追われる父に出会う。冷たくしながらも年老いた父をかばってしまう。エリートになりきれなかった真面目で小心の息子の役に、佐々木蔵之介は、平幹二朗の父に対し、役ではなく本当の父や尊敬する役者としての敬意を持って演じているようだ。
平幹二朗は、したたかで煮ても焼いても食えないが、息子や家族にしてしまった仕打ちを悔いていて、しかし時代に飲み込まれて抜け出せなかった町工場の経営者の悲哀を年老いた老人としてではなく、たまにぼけながらも若々しく演じている。この父があってこそ芝居が回り、この先の見えないどん底の状況を明るい印象に感じさせている。
溝端淳平にとっては芸達者の二人にも引けをとらない明るい演技で、現代の若者の生きずらさをしっかりと見せていた。
永井愛は「こんにちは、母さん」でたくましい女性の生き様をみせてくれた。「こんばんは、父さん」では今の時代が男性にとってつらいものであっても、どこかに希望は必ずあるとエールを送っているようだ。
最後に息子の佐々木蔵之介が、自分の子供のために隠しておいた高級時計を、父の借金の返済のためと取立て屋の立場を救うために手放し、それを父が孫を思ってすまないと思うシーンは、救いと悲しみがあいまって切ない。
また、息子が亡くなった母を語る場面も、我が母の生き方を語られているようで、少し涙ぐんでしまった。
場面展開も無い短い作品だが、役者の力と脚本の妙が織り成す、素敵な舞台だった。