
平和を愛する人々が
なぜ愛国者といえるのか?
このことを考えるとき
平和とはどういうことを意味するのかと
問いかける必要があります。
日本の人々の大半は日々
平和な中で
安楽に生活を送っているわけでは
ありません。
毎日が戦いです。
日々を生き抜くために
子供のために
親兄弟のために
生き抜こうとしています。
経済苦から
自分たちを解放するために
それは
倒産、破産、失業を
乗り越えていくために。
昨今では消費税の重圧、
なども身近に迫っています。
その為
同胞とともに
しっかり協力し合い、
助け合い日々を生き抜いています。
年金生活者は
大半は微々たる年金で
これからの行方に不安を感じながらも
必死で節約しながら生きています。
また、
度重なる日本列島の至る所を襲ってくる
自然災害の重圧、
重大な被害・惨状から
自らを解放するために
日々戦い奮闘しています。
日本人の日々の生活・日常は
少しも平和ではないのです。
厄災との戦いは
断続的にひっきりなしに日本列島を
襲って来ます。
日本人の大半は
それらにめげることなく
それらに備え、立ち向かい、再起し、
次々とハードルを
乗り越えていっていることを
忘れてはならないでしょう。
そのような粘り強い戦闘性は
当然、
そこに
決して豊かではないにもかかわらず
それらの多くの質素で
誇り高い日本人の中に脈々と
息づいています。
これらの人々は
決して平和でない日常の生活の中で
一歩間違えば奈落の底を見ながら
それぞれが家庭平和を守るために必死で
生き抜こうとしているのです。
これが現実の
日常の日本、日本人のありようなのです。
またこれが
日本の平和、
平和ボケした平和
というならそうかもしれません。
そういう
つつましい日本と
日本人を侵そうとする人々、国家があるとするなら、
その延長線上に、それらの家庭を破壊するような
正義のない、強いられた、
根拠のない戦争がもしあるとするなら
それらの人々の先頭に立つ
真の平和を愛する人々、
日常の
経済的災難、
度重なる
自然災害の中で
打ち鍛えられた人々
は敢然と立つだろうし
死を恐れないだろうということです。
邪悪な心は何一つ持っていないからです。
これが
平和主義者の神髄だろうと考えます。
なぜなら愛しい
何事にも代えがたい家族
愛しい同胞を命を懸けて
守ろうとする気持ちでは
何一つ違いはないからです。
国の守りはも国民一人一人の
また違った形の守りにすぎない。
真の平和主義とは国と同胞を見捨て
逃げ出すことではない。
そのような瞬間には
同胞と生きる術である国土を守るのは当然の事である。
帝国主義的平和は時代遅れの産物だろう。
いかなる国々にも
日本国憲法の様に
原則、対外戦争を放棄し、
専守防衛を訴えたい。
けれども貴方と異なるのは、こうした日々を私は堪え難い苦痛の戦いとは思わず、日本だけが特に国民を苦しめている国だとも考えておりません。どんな国に生まれようと、多くの人間は沢山の問題を抱え、暮らしを立てるため懸命に生きております。
理不尽な戦争と言われますが、理不尽でなかった戦争が過去にあったのでしょうか。現在になっても、他国を武力で恫喝している中国に、しかもあからさまに日本を対象としている危険な国に対し、貴方の目は向かず、なぜ自分の国の過去だけを責め続けるのでしょう。何度でも述べますけれど、私は先の戦争で日本が全て正しかったとか、間違いがなかったなどと主張しているのではありません。国際社会の国益追求のせめぎ合いが、どんなに非情なものであるかにつき今少し目を向けられ、今少し自国に寛容の視線を注がれることはできないものかと、そう思う次第でございます。
この地球上から根絶することが、
今日の人類の使命であろうかと
私は信じています。
そうでなければこれからも
ベトナム戦争やアフガン戦争、
イラク戦争のような血みどろの、
国民にとって望まれない戦争は
永久になくならないでしょう。