5月5日は一乗寺・八大神社の神幸祭。ご神体を移した神輿の先導を務めるのが剣鉾である。
祗園祭のはじまりと言われる869年の御霊会では、神泉苑に66本の鉾を立て、疫病退散を祈願したらしい(出典未確認)。天を突く剣鉾は、悪霊を鎮める祭礼の道具と言える。記録上最初の御霊会(863 年)では、怨霊や疫神を鎮めるために、読経・舞楽などの芸能・弓・競馬・相撲などが行われている.
(『日本三代實録』 巻第七 貞観五年五月廿日:http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/sandai/sandai.html)
八大神社HPに「氏子祭神輿巡行経路」として、地図と共に予定時刻が掲載されていた。
(八大神社HP:http://hatidai-jinja.seesaa.net/category/1651427-1.html)
きらびやかな神輿に、きれいな衣裳。行列は幼稚園児~小学校低学年の子どもたちから成り、なんともかわいらしい。華やかな祭、という印象を受けた。
剣鉾は、雲母坂では電線を避けて一旦横倒しにし、再度腰につけた「差袋」に「棹」を乗せていた。差し手が剣鉾を上下に揺らすと、「鈴」が「棹」上部の金具に当たってすずやかな音色が響き渡る。
この道路は車が多く、警察官も数人出ていたが、誘導に時間を取られていた。京都の祭りはどれも冗長だと感じるが、通行止めにできないからだろうか。かついでまわる大人神輿は、休憩も多く必要だが。(最近は、車に乗せて神輿を引くのを目にすることが多いが、ここのは違った。)
神輿・剣鉾が出た後の神社を参拝した。
祭神は「『素盞嗚命』『稲田姫命』『八王子命』」と前掲HPにあるが、「稲田姫」でなく、「櫛稲田姫」ではないだろうか。スサノオの妻の名は櫛稲田姫である。また、「八王子」別名「八将神」とは、「牛頭天皇の八王子」のこと。牛頭天皇はスサノオと、妃の頗梨采女は櫛稲田姫と同一視されている。さて、本記事の冒頭で祗園祭に触れたが、ここで八坂神社との関連が出てきた。八坂神社の主祭神も、八大神社のそれと同じ「スサノオ」「櫛稲田姫」「八柱御子神」である。また、神紋も、同じく三つ巴に5つ木瓜。
本殿の東側の社には、写真右のような紋があった。菊に4つ木瓜?菊といえば皇室。この社の屋根にも、菊の金具がついていた。なぜ。
さて、八大神社の剣鉾は、送り火や時代祭り、おけらまいりなどと同様、京都市指定・登録文化財(無形民俗文化財)となっている。
(京都市文化市民局HP:http://www.city.kyoto.jp/bunshi/bunkazai/siteisyasinn/muminsetumei.htm)