上賀茂神社(賀茂別雷神社)へ。
写真上・左は、駐車場入り口に掲げられた横断幕。写真上・右は、一の鳥居。
二の鳥居(写真上・左)をくぐると、立砂の向こうの細殿(写真上・右)には、たくさんのお供え物。この立砂の右側には、ぎっしりと結ばれたおみくじが、白いツリーを象っている(写真下・左)。
楼門(写真上・右)の内側の柱2本には、厄除卯杖(写真下・左)が、結ばれていた。
楼門前の解説文に依れば、この卯杖(=祝杖=卯杖寿)は、中国で邪気を祓う角棒「剛卯」を腰に吊るしたものから来ているらしい。お札は、これが元になったものだとか。日本では平安時代に遡る風習だそうで、宮中で、初卯の日に、厄除けのお守りとして飾ったという。それが神社で神事として行なわれるようになった、とのことだ。「現在は当神社のみ絶える事なく毎年『初卯神事』をご奉仕」とある。確かに、私は初めて見る。そういえば、今日(1/5)は初卯の日だ。
楼門の向こうのテントでは、本殿・権殿特別参拝(1000円)を受け付けていた。直会殿に上がると、廊下の屋根には、吊り燈籠がいくつも飾られ、金色のそれらには、神紋・二葉葵の彫刻が。しばらく待つと、宮司さんが来られて、神社の由来などお話と、お祓いをしてくださった。幕の向こうは、白砂を挟んで東西に本殿と権殿。靴を履いて、両殿を目の前にすると、下鴨神社本殿を目にしたときと同じく、見惚れてしまった。1863年造営という桧皮葺の権殿(国宝)は、それは静かに日本的な美を湛えている。軽やかながら、重厚さを感じさせるのだ。流れ造という建築様式らしい。式年遷宮は、下鴨と同様、現在では修理することで遷宮としている。箒目の入った白砂に下り、権殿前で、巫女さんの鈴のお祓いを受ける。それから、宮司さんによる社殿の解説。
権殿でも本殿でも、下鴨と同様、社殿の上で唐風の狛犬が守っている。違うのは、社殿の壁に描かれた狛犬、「影狛」。狩野派の絵師によるこの絵は、社殿の上に鎮座する狛犬たちの影を写し取って描かれたもの、と言われている。向かって右側に金色と緑の狛犬(阿形)、左側には銀色と青の狛犬(吽形)。壁に描かれたものと、像とは、色調も呼応していた。像と絵とで二重に守る、ということなのだろうか。
御祭神は、賀茂別雷神。「雷を分けるほどの力を持った神」と説明があった。では、なぜ本殿と権殿が?聞けば「この両殿を通して北にある神山を拝している」とのこと。神山は、その御祭神が降臨したとされる山。「神官制度の関係で宮司と禰宜の両方がお供えをする場所が必要だったから、二殿あるのでは」と言われたが、どうもすっきりしない。「権殿」とは何なのか。下鴨でも東西両殿を本殿としていたが、それは御祭神が二柱だから。
何かわかるかも・・・と期待して京都市歴史資料館HP(フィールドミュージアム京都)を探したが、納得のいく説明には出合えなかった。わかったことは、上賀茂神社の方が歴史が古く、奈良時代中頃以降、下鴨神社が分かれたらしい、ということだけ。それなら、下鴨神社は、上賀茂の本殿二つを踏襲した、とも考えられる。
4時半から舞殿(橋殿)で、舞楽の奉納があった。平安雅楽会による雅楽の演奏と、「抜頭」という舞。始まる前の解説を、日本語と英語の両方でしていたのは良かった。外国人の見物客もいたことだし。
上の写真は、頭巾をつける舞手(左)、お面をつける舞手(中)、舞台に上がる舞手(右)。夕方、日が翳り、底冷えがした。そのせいなのか、雅楽の演奏がもうひとつだった。雅楽に詳しい訳ではないが。
話は戻るが、特別拝観の最後に、宝船(写真下・左)を頂いた。
「国宝・本殿特別参拝とご神宝の拝観」は、5月の数日と、年末年始を除いて年中行なわれている(初穂料500円)、と、下鴨神社HPにあった。私は、お正月に参拝するのは初めてだったので、毎年、年始に、このような形での特別参拝があるかどうかはわからない。
今日、ご神宝の拝観なく残念だったけれども、また来ればいいのだ。次は、梅の日(6/6)にでも。
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