京都逍遥

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新宮神社

2010-02-17 00:46:26 | まち歩き

地下鉄烏丸線松ヶ崎駅から北へ約200m、林山の麓に、新宮神社はある。

10_001 鳥居の両脇の、古木が印象的だ。向かって左側のモミ(写真下・右)には「左京区民の誇りの木」という札があった。これは、京都市建設局・水と緑環境部・緑政課で、市民から対象木を募集し、委員会で審議の上、平成12年に制定されたそうだ。左京で101件が「誇りの木」となっており、そのうち、神社にあるものは40件。寺には10件。あとは学校や公園、鴨川沿いなどである。このモミの木は、高さ約30m、幹周約3m。「かつて神社の鳥居の代わりをしていたといわれる(京都市情報館HP:http://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/page/0000021618.html)」とあるように、ちょうどよい間隔で、すっくと聳えている。右側の木は樹高が低く、季節柄、残念な状態だけれど、この木々の間を通って神社の階段を登るとき、聖域へと足を踏み入れる、そんな感覚に捉われる。

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鳥居前の燈籠(写真上・左)は、不思議な配置だ。一つは鳥居の前、一つは後ろに置かれている。燈籠には「明治十二年」、鳥居には「平成十四年」とあった。燈籠を動かさずに鳥居を新しく建立したのだろうか。階段の向きからしても、燈籠の位置は、ずれ過ぎのような気がするが。

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階段を登ったところに、また燈籠があった。これは火袋が木製で、珍しい。その火袋には三日月や星のような彫刻が見え、これは三光(日月星)を表しているのか、などと思う。この竿の部分には「宝暦三年癸酉」とあった。宝暦3年というと、1754年。そんなに古いものに見えないほど、鋭角的なカーブだった。

本殿前の狛犬たちは、よほど古いのだろうか。それとも石の材質が違うのか。丸みを帯びて苔むしていた。

10_011 階段の前には舞殿(写真左)があった。その西側にも大木が。この木と、その脇の2~3mの切り株には紙垂がついており、これら神木を祀る祠があった。舞殿の南面には鈴がついていたが、東・西・北面には、非常に古い扁額がかかっていた。

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扁額の絵は、どれも退色していて、主題や6枚の絵の関連など、素人目にはわからない。この寅と武将の絵(写真右)は、まだいくらか色と形が残っている方。

舞殿 の北、階段の向こうに拝殿と本殿(写真下)。提灯や幕の神紋は、藤紋。六條藤か、九條藤のように見える。新宮神社という名前なのに、熊野の新宮神社の紋とは、まるで違う。調べてみたら、なるほど、もとは神社の名前も祭神も違ったらしい。ただし、それが理由だとは断定できない。社を寄進するような有力な信者の家紋が、神紋となることはあるから。

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この神社の創建は定かでないが1307年を遡ることは確かである。それまでは「大比叡大明神」といい、1307年、松ヶ崎村が皆、日蓮宗に改宗した際、「新宮大明神」と改称した。熊野新宮から“諾冊二神”(伊奘諾命、伊奘冊命のことか?)を勧請し、妙泉寺(現・湧泉寺)の鎮守社となったのである。明治の廃仏毀釈で「白鬚神社」と称して猿田彦を合祀し、明治20年に「新宮神社」と改称して、現在に至る。

大比叡大明神とは、日吉大社(滋賀県)の西本宮に鎮座する大和の国三輪山の神たる大己貴神(おおむなちのかみ)、別名・大物主神あるいは大国主命のことだ。もともと比叡(牛尾山=八王子山)には、地主神として大山咋神(おおやまくいのかみ)がいたが、668年、天智天皇が大津京遷都の際に、国家鎮護のために三輪神を迎えたのである。日吉大社では、「小比叡大明神」たる大山咋神を東本宮に祀っている。これら「大比叡大明神」「小比叡大明神」の呼称は、880年の『日本三大実録』にも見え、古くからの名称であることが分かる。桓武天皇の時代(791年)にも「大比叡」「小比叡」の神輿を出した、とか。

だからといって、新宮神社が同じくらい古いとは言えないが、比叡山の真西に位置するこの場所で、「大比叡大明神」が、最澄の延暦寺より前に創建されていたのかも、と想像する。写真でわかるように、山のすぐ下に本殿がある。まるで山をご神体とするかのように。磐や山を神体として祀ったのは、ごく古い信仰形態。日吉大社の大比叡大明神を、松ヶ崎の林山に迎えたのかもしれない。日蓮宗も重視する「三十番神」の17番目である「大比叡大明神」という名前を、日蓮宗の鎮守社となったことで変えなければならなかったのは不運だった。さきに「諾冊二神を勧請」と書いた。新しく神社を創建する場合は別として、既存の神社が「勧請」するとは、迎えて受け容れる、つまり祀る神を増やす、ということだと思っていた。この神社の改称は、祀る神が変わったという印象を受ける。実は、どうなのだろう・・・・・・。

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