京都駅伊勢丹隣接、美術館「えき」KYOTOで、9/9~10/17の会期で行われているユトリロ展。「全作品日本初公開」と銘打ち、約90点の個人コレクションが公開されている。所蔵者の名前は明かされていない。
人混みの中で絵を見るのは大嫌いなので、朝一番に。10時前、京都駅の大階段(写真上・左)に人は少なく、階段に面した伊勢丹7階入口(写真上・右)はまだ閉まっている。JR京都駅南北通路に面した伊勢丹入口も閉まっているが、パスポート事務所のある8階へのエレベーターは使用できた。8階から大階段へ出たところに、展覧会ポスターがあった。
この絵は、『カルボネルの家、トゥルネル河岸』。1920年頃の作だ。モンマニーの時代、白の時代、色彩の時代と分けられる製作時期において、白と色彩の過渡期に当たる頃か。定規を使用したようなくっきりと太い建物の輪郭は、1916年頃の作とされている『エリゼ・デ・ボザール小路、モンマルトル』と同様。個人的には、むしろ、輪郭がわずかに曖昧な『ノルヴァン通り、モンマルトル(1918~20年頃)』や『モン=スニ通り、モンマルトル(1948年頃)』などが好みだ。
ごく初期(1905~06年)の『モンマニーの風景』二作には驚かされた。こういうものは初めて見たから。色の重なり。塗りたくるという表現がぴったりだろう。重苦しい。
ユトリロが、その風景に描き入れる人物は、初期には殆ど後姿だった。帽子を被り長いスカートを身に着けた腰の張った女性に、下村玉廣が描いた人物図案のような男性。1920年代になると正面を向いた人物も描かれるが、それが、とんでもなく下手なのだ。目鼻口をほとんど点で表しているのだが、目だけにすればまだ良かったのにと思うような。これはかなりの驚きだ。
若い頃、白の時代の絵が好きだった。ユトリロ展は何度か見に行ったし、結構な数を見ているはず。今回の展覧会では、コレ!という、とても心惹かれるものはなかったのだが、点数が多く、通覧できるのはとてもいい。
雪の街路、雪の教会、雪の広場。雪景色のユトリロの絵は良かった。10年以上前の展覧会で気に入った『十字軍の帰還(1905年頃)』も雪だったことを思い出し、当時買った絵葉書を出して確認した。
それに、後期の絵(例えば『ビエーヴル通り、ブール=ラ=レーヌ(1943年)』『雪の積もったパンソンの丘の通り、モンマニー(1950年頃)』)に多く見られる枯れ枝。枝の先に筆を下ろして、一気に枝を下へ伸ばすのだろう。その梢の黒々とした重さが、かえって枝の動きを表しているように思えた。
あと、全般的に水彩画が良かった。特に『雪のムーラン・ド・ラ・ギャレット、モンマルトル』という小品。
どれも絵葉書では違うもののように思え、若い日の郷愁もあって、図録だけは買った。そうそう、ユトリロは、絵葉書を見て絵を描くことが多かったのだった。この酔っ払いは、飲み代として絵を渡したのだった。絵には署名のほかに、製作年やタイトル(描いた場所)あるいは献辞の入ったものもあった。[À Madame Gaston Berheim,Hommages respectueux] [Meilleurs voeux de bonne année 1922, à Madame ●●]などの献辞、つまり「敬具」や「新年おめでとう」といった言葉からは、純粋に贈り物なのか、飲み代なのかわからない。
ところで、このカタログ末尾の作品説明には、タイトル、年代、技法、大きさ、サイン(場所と署名)、展覧会出品歴、目録、作品の移動歴、販売元が、記されている。これらの作品は、パリのいくつかの画廊から、チューリッヒの画廊から、パリやヴェルサイユの邸宅から購入し、あるいはオンフルールやリヨンやルーアンの競売で、ロンドン・アメリカのサザビーズオークション・クリスティーズオークションで競り落としたものだ。そうまでして集めた膨大な、このコレクションは、通常どのような形で在るのだろうか。大邸宅に飾っているのか、保管庫に預けているのか、専用の倉庫があるのか・・・・・・と、埒もないことを考える。いずれにしても財力だけでは集められない。ユトリロの作品への愛がなければ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます