遠足
益なくして厚く禄を受くるは窃(ぬす)むなり
(前漢時代の『大戴礼』より)
たいした仕事もできないのに 報酬をたくさんもらうのは
盗賊にひとしい ・・・ というわけです。
しかし 今日の社会には
その意味での泥棒的人種がなんと多いことか。
「 各人はその能力に応じ働き その労働に応じて与えられる 」
べきなのですが ・・・ 現実には そうはいきません。
「 益なくして薄く禄を受くる 」 場合が少なくないのは
「 益なくして厚く禄を受くる 」連中が
ゴマンといるところに大きな原因があります。
では どうすればよいのか ・・・ 。
この点に関する考えかたいかんで
人生も 社会も 右か左かへ曲がっていくおそれが多分にあります。
「 だれも 自分の財産に満足している者はいないが
自分の才知に不満をもっている者もいない 」
・・・ ここに問題の根本がある と思います。
これを 中国の諺でいうならば
「 道がわかる気でいる時ほど 道に迷うことはない 」
・・・ ということになるでしょうね。
困ったことに
私たちは 自分の才知をおおむね不当に高く評価し
・・・ 「 道がわかる気 」 になってしまいます。
だから 厚く禄を受けても当然だと思うどころか
それでも まだ不足だという気分にさえもなるのです。
蛇足ながら ・・・
とくに 「 国会議員はエライ 」 などと思っている
どこぞのおバカな議員さん ・・・ こころしてお聞き下さいな!!