Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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峠旅 奥秩父・大弛峠から三国峠へ・・・!!その3

2008-10-24 18:00:54 | Weblog
《峠旅 奥秩父・大弛峠から三国峠へ・・・!!その3》

 そもそも、今回の自転車旅を思いついた切っ掛けは、関東への憧れからである。それは東京の都心部ではなく、関東平野を囲む山裾の風景に興味を持ったからである。去年の春、サイクリスト仲間の方と4名で、下仁田町、南牧村、上野村へと走る機会があった。

 その続編として、秩父、名栗、青梅、五日市、八王子、高尾へと訪れるのが今回の目的でもあった。関東平野の山裾を縫って走ることにより、関東とはどういうところなのかを知りたかったからである。余談ではあるが、関東とは箱根の関より東側で、関西とは鈴鹿の関と不破の関より西側を指すようである。

 関八州。旧国名でいうと、武蔵国(むさし・埼玉、東京、神奈川の東部)、上野国(かうづけ・群馬)、下野国(しもつけ・栃木)、常陸国(ひたち・茨城の中部東部)、下総国(しもふさ・千葉北部、茨城の西部)、上総国(かずさ・千葉の中部)、安房国(あわ・千葉の南部)、相模国(さがみ・神奈川の中部西部)の八つを云う。

 ちなみに、上州とは上野の国・群馬のことであり、房総半島とは、安房の国と上総の国にまたがる半島のことである。家電品で有名な日立は常陸の国から命名されたのかもしれない。

 自転車旅も三日目、二日間は晴れたものの、三日目は雨模様となる。そそくさと朝食を済ませ、雨具を着けてのツーリングとなる。雨の日もまた楽しといいたいところであるが、何度経験しても嫌なものである。挙句は泥除けのないニシキ、中津川林道の地道では大活躍であったが、雨の舗装路では最悪である。太いタイヤが目の高さまで跳ね上げる雨水には閉口した。

 入間川に沿って下り、成木街道・青梅秩父線へと走る。小沢トンネルを抜ければ埼玉県より東京都へ入る。その景色は、岐阜の田舎と変わりはなく、トラックの多いことが気になった。

 途中、松ノ木トンネル、吹上トンネルと抜け、青梅の町へと入る。青梅といえばマラソンしか浮かばないが、ただ普通の田舎町で、駅前で記念写真だけを撮る。

 青梅街道を国道411号に沿って西進すれば、奥多摩、柳沢峠、塩山へと至る。今更、そんな元気もないので、当初の予定通りに高尾を目指す。

 青梅より秋川街道・青梅あきる野線へ入る。相変わらずのダンプ街道で、雨とのダブルパンチに気が滅入る。なるべく歩道を走るようにした。

 武蔵五日市駅へ出、ここで大きく左折をし、さらに秋川街道にて八王子へ向かう。圏央道、中央高速を潜り、途中で右折をして山田宮ノ前線へ入る。途中に見た八王子霊園の規模は、半端ではなかった。

 いよいよ高尾も目前、今回の自転車旅もフィナーレを迎えようとしている。ここで最後の宿題、御陵巡りへ寄り道をする。

 御陵とは天皇家の墓地であり、そのほとんどは奈良と京都、大阪にある。例外的に滋賀、淡路島、香川、山口にもあるが・・・

 明治天皇陵は京都伏見にあるが、大正天皇陵や昭和天皇陵は東京都にある。皇居が東京にあれば当然かもしれないが・・・大正天皇の多摩御陵と昭和天皇の武蔵野陵へ参拝をする。時代の流れか、皇后陵も隣に祀られているのが現代風であった。

 街路樹の落ちた銀杏を踏みしめて高尾駅へと至る。三日間の充実した自転車旅も終わりを迎え、冷えた缶ビールとつまみを売店で購入し、車中の人となった。

 塩山駅前から7時間以上の上りで越えた大弛峠。その向こうに控えていたダートの下り。夕暮れ迫る川上村川端下で見た屋根岩の雄姿。癒しの宿「白木屋旅館」。念願の三国峠から中津川林道へのダート走行。秩父の武甲山。青梅、高尾。長年の夢が実現した満足感で充実の旅を終えられたことが嬉しかった。

 付き合いを頂いた浦和の8名の皆様に最大の感謝を申し上げたい。
 ありがとうと・・・

画像をスライドショーでご覧ください(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/48198/




峠旅 奥秩父・大弛峠から三国峠へ・・・!!その2

2008-10-14 07:27:08 | Weblog
《峠旅 奥秩父・大弛峠から三国峠へ・・・!!その2》

 長野県南佐久郡川上村。人口は5千人弱、冬はマイナス20度にもなるという高原。標高1,100m~1,500m、川上村は千曲川源流、水のふるさとです。ふりそそぐ太陽を充分に浴び、冷涼な空気の中で育った「川上村レタス」をはじめとする高原野菜をお楽しみに!!・・・と、ブログにあった。

 その最奥にある梓山地区に白木屋(しろきや)旅館はあった。百名山を目指す登山者憧れの深田久弥氏、詩人の佐藤春夫氏や尾崎喜八氏も投宿したという老舗旅館(創業は明治9年)だそうだ。

 ここでようやく全員が揃う。かなりのハードプランになったようで、皆の顔には疲労感が漂っていた。さっそく、風呂へと直行をする。10人は入れるであろうか、広々とした湯船に浸かり、今日の辛かった峠越えの話しに花を咲かせる。・・・裸の付き合い!!・・・嬉しいものである。

 風呂の次はご馳走・・・浴衣に着替え、豪勢?な料理の前に座る。取り合えずビール・・・この喉越しの一杯がやめられない。生きてて良かったと思える瞬間でもある(ちょっと大げさか!)

 ビールの次は地酒、初鴬(はつうぐいす) 木内醸造、佐久市の造り酒屋だそうだ。日本酒は冷に限る・・・飲んべい氏の薀蓄がはじまる。

 サイクリストの宴会はなかなかハード・・・峠のない上りのようなもので、果てしなく続く・・・それは冗談であるが、峠越え以上に体力もいるようだ。部屋へ帰ってからの二次会も遅くまで続いた。

 翌朝も快晴、まずは腹ごしらえからであるが、いつものようにお代わりのご飯がなくなる。年齢を問わず、各自が三杯は食べるところが凄い。サイクリストは、ご飯イコール燃料であるから仕方ないが・・・

 近くのコンビニで食料を調達し、三国峠を目指す。梓山の集落を過ぎ、レタス畑の中を行くようになると風景も一変する。川上村の高原野菜は有名で、早朝に収穫されたレタスは、その日のうちに都会のスーパーの店頭に並ぶそうだ。家族総出なのか、何組かの農家の方たちが忙しく働いていた。

 レタス畑が終ると落葉松の樹林帯へと入ってゆく。道は緩やかに何度もカーブを描きながら高度を上げていった。全面舗装なのが有難い。昨日の大弛での下りがトラウマのように蘇る。

 三国峠(1740m)へはあっけなく着いた。切通し状になった峠を越えれば関東の景色が眼前に広がる。東方向に際立つ山は両神山だとコバさんが教えてくれた。その右手に見える尖った山は武甲山だそうだ。山名は以前より知っていたが、見るのは始めてで、いつかは登ってみたい山である。ちなみに、峠名の三国は、武蔵国、上野国、信濃国を指す。

 後続も次々と峠へ到着し、記念撮影大会となる。昨日の大弛では、こんな余裕はなく、和気藹々としたムードが嬉しい。改めて信州側の景色も眺め、峠旅のひと時を楽しんだ。

 いよいよ中津川林道へ突入である。土砂崩れのため、通行止めとの情報が気がかりではあるが、出たとこ勝負!?でスタートを切る。ゲートを過ぎ、紅葉の始まりかけた樹林の下のダートを疾走する。その距離は18キロとか・・・今時、こんな長い地道を走れることはサイクリスト冥利に尽きる。

 閉鎖区間のため、クルマが来ないのは有難いが、道は踏まれていないために荒れていた。この日に備えて組み上げたニシキのMTB、パスハンもどきが大活躍であった。フラットバーに太いタイヤ・・・ドロップハンドルのランドナー組は苦戦をしているようであった。やはり、ブレーキングがネックのようである。

 パンクが一名、あとは転倒者もなく、無事に林道を走り終えることが出来た。後で知ったことであるが、やはりこの林道も森林鉄道の跡を改修して造られたそうである。ガードレール?に変身した軌道レールにその痕跡が見られた。

 人里へ出、「彩の国ふれあいの森」にて埼玉の皆さんとお別れをする。その後、一行は美味しい蕎麦?を食べ、秩父の町で反省会という名の飲み会をされて解散したそうである。

 私の今日の宿は旧名栗村、まだまだ60キロはありそうなので、先を急いだ。中津川沿いを走り、国道140号へ出会う。右折して、雁坂トンネルを抜ければ、山梨の塩山へは近いのであるが、自転車の通行は不可とのこと。

 三峰神社へのロープウェー乗り場を右に見、次の橋を渡れば秩父鉄道の終着駅となる「三峰口」へと至る。なかなかレトロな造りの駅舎で、しばしの休憩を取る。駅前のひなびた食堂へ入り、ビールでもと思うが、道中が長いためあきらめる。

 鉄道沿いの旧道を縫って秩父市街を目指す。セメントの原材料となる石灰岩の山である武甲山(1304m)の姿は痛々しい。ここまでやってよいのか!とも思うが、採掘権を持った個人所有の山なのであろう、見るも無残という印象であった。

 秩父市役所のところで右折し、国道299号へ入る。ここは横瀬町とある。西部秩父線に沿って正丸峠方面へ向かう。途中、家族連れでにぎわう芦ヶ久保の道の駅が見えたが、気後れがして通り過ぎてしまった。

 正丸トンネルを見送り、山伏峠へ向かう。道はそれほど厳しくないため、余裕で走ることが出来た。峠を越えれば名栗の里へ・・・峠のすぐ下の急斜面に建つ民家のたたずまいは、とても関東とは思えない風景であった。

 そこより30分ほど、今日の宿となる下名栗の「河鹿荘」へ無事に着くことが出来た。


その3へ続く・・・

峠旅 奥秩父・大弛峠から三国峠へ・・・!!その1

2008-10-07 09:17:15 | Weblog
《峠旅 奥秩父・大弛峠から三国峠へ・・・!!その1》

 国内で、車両が通行できる峠としは最高所(2360m)となる大弛峠(おおだるみ)を訪れてきた。

 自転車を趣味としている者にとって、また、峠に興味がある者にとって、この大弛峠は一度は越えたいところである。サイクリスト憧れの峠と云っても過言ではない。

 場所は、奥秩父山系・・・金峰山(2599m)を主峰に、甲武信ヶ岳、国師ヶ岳、、瑞牆山などの名峰が立ち並んでいる。

 今回のコースは
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=104a2ba312ad662a779039ae205758d5

 集合は中央線塩山駅。甲斐が生んだ武将、武田信玄の菩提寺となる恵林寺(えりんじ)は、「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」の言葉で有名である。

 信玄公の銅像のある北口ではなく、南口に埼玉のメンバーは集合していた。前泊で来ている者、夜行で朝着いた者、それぞれの今回のプランへの意気込みは半端ではない。塩山駅から大弛峠への標高差は二千メートル・・・並みのサイクリストには厳しすぎる悪条件でもある。

 ランドナーをはじめ、それぞれがお気に入りの自転車に跨って塩山の市内を走り抜ける。精肉店の前に掲げられた「馬刺しあります!」が気になった。

 旧塩山市は、勝沼町、大和村との合併によって甲州市となった。勝沼といえばワイン、このエリアには多くのブドウ畑が点在し、その丘陵地に広がった景色は異国的でもある。

 恵林寺を過ぎ、旧牧丘町(現山梨市)へ入る。余談ではあるが、甲府市、山梨市、甲州市・・・どれも同じに思えてしまうのが寂しい。勝沼や石和などは有名な地名かと思うのだが。

 ブドウ畑の中の一本道を真っ直ぐに上がってゆく。徐々にではあるが、甲府盆地の町並みが眼下に低く見えてくるのが嬉しい。

 金桜神社の赤い鳥居に来た時、ブドウ畑の婆様より巨砲の差し入れを頂く。山梨の人は情が厚い・・・サイクリングをしていて、幸せを感じる瞬間であり、クルマやエンジン付きバイクでは味わえない体験でもある。

 道は杣口林道へと入っていった。クルマの交通は少なく、木々の下を行く舗装された道はとても快適であった。唯一の欠点は勾配があることであろうか。

 グイグイと、右に左にカーブしながら高度を上げていった。道の下に流れる琴川の瀬音が優しく谷間に響いていた。気温は程よく、気持ちよい風を感じながらのサイクリングとなる。

 琴川ダムの上に出ればひと段落、後続を待って休憩を取る。当然のごとく会話は自転車談義、仲間の自転車を眺めながら、タイヤのチョイスはどうの、ギア比はどうのと賑わしい。パーツ自慢もサイクリングの大きな楽しみのようである。

 全員がそろい、少し先の金峰牧場にある牧丘第一小学校柳平分校の校庭で昼食とする。どうも廃校のようであるが、それぞれが好きな場所に陣取り、コンロを出してお湯を沸かし始める。カップラーメン、うどん・・・他人の食事は美味しそうに見えて羨ましい。

 塩山から大弛峠までの行程は35km、金峰牧場で2/3の距離を走ったことになる。ここより勾配は更に増し、疲れた脚に追い討ちを掛けてくる。峠の登りが辛いのは覚悟の上であるが、標高が増すごとに気温も下がり、ビッグ峠越えのプレッシャーが掛かってくる。

 しばらく若いT下氏とのバトルが続く。彼のギア比はフロント・インナー39T、私はといえば、インナー26T。彼の健脚にはかなわないので、休みを少なくして追従することにする。

 標高も二千メートルを越えてくると、白樺の明るい樹林帯となり、気分も軽くなる。気持ち、道の勾配も緩くなってペダルがはかどる。道の正面には、奥秩父の名峰・金峰山が大きく眺められるようになってきた。

 登山者のものと思われるクルマが多くなったところが大弛峠であった。道中の静かさとは違い、中高年の登山者の会話が賑わしい。もっとも、私も立派な中高年の一人ではあるのだが・・・

 後続を待つにも気温が低すぎて耐えられず、山小屋へ逃げ込む。生憎とストーブはまだ焚かれておらず、同行のS沼氏との会話で気分を紛らせた。

 時間は午後4時半、日没も早い時期であるため、後続との合流をあきらめ、若い二人に待機を依頼して先行することにする。信濃川上村側には数キロのダートが続き、日没後には通りたくないコンディションであった。

 このダートをドロップハンドルのランドナーで下るのは辛い。乗車姿勢からもブレーキングがネックとなり、雷神に乗るS沼氏は難儀をしていた。私は、この峠越えのためにニシキのMTBフレームをパスハンター仕様に改造してきたため、ぶっ太いタイヤとフラットバーの恩恵で楽に下ることができた。

 転倒に気をつけ、クルマの轍を外さないよう慎重に下る。夕暮れは急速に早まり、気が焦ってくる。突然、後方からT川氏の声が掛かる。情報では、脚を痛め、大きく遅れているとのこと・・・・T川氏のわけがない。しかし、紛れもなく元気に爆走されているのはご当人であり、安心をした。

 川端下まで降り立つと夕暮れが一気に迫って来た。奇岩の続く屋根岩の画像をデジカメのモードを夜間撮影にして、辛うじて写す。最新のメカは凄く、人間の目以上に増感して撮影をしてくれた。

 秋山で県道68号へ出会い、右折して梓山を目指す。LEDのヘッドランプを頭に装着し、ナイトランに備える。宿となる白木屋旅館へはあと少し、最後の力を振り絞って宿へ辿り着いた。

 その2へ続く・・・

輪旅 美濃飛騨ロングライド230kmへ!! その3

2008-10-03 20:11:58 | Weblog
《輪旅 美濃飛騨ロングライド230kmへ!! その3》

 暗闇、それに輪をかけた降雨・・・これ以上の悪条件は知らない。雨は止む気配がなく、それに寒さが徐々に加わってきた。ポンチョでは対応できず、衣類が濡れてきているようだ。

 岩屋ダムの休憩所であるもの全てを着込む。ウィンドブレーカー、ロングソックス・・・やはり緊急時用の衣類は需要である。最悪の寒さを感じることなく走れた。祖師野辺りで、雨脚はさらに強まった。

 天神堂で右折し、上之保への県道85号へ入る。街路灯は一気に減り、闇がさらに深まる。ヘッドランプの明かりだけが頼りというのは実に心細い。

 民家の明かりが見えなくなった辺りより道は狭く、暗く、挙句に勾配が増してくる。もう少し若ければ泣きたくなる?シーンである。放生峠を越えないことには帰れない。絶望的な思いでペダルを漕ぐ。ほとんど無心状態で・・・

 照らす角度の狭いLEDヘッドランプでは、路面全体を明るくしてくれない。おまけに雨筋がライトで白く照らされ、前方がハッキリと見えない。メガネを掛けた状態では、それに曇りがはいって最悪であろう。

 唯一の救いは、このコースを早朝に通ったことである。これは痩せロバ氏のアドバイスで、その意味を実感した。かすかに覚えのある地形は安心感を与えてくれた。無事に放生峠を越えることができた。

 濡れた路面を慎重に下り、鳥屋市の集落に降り立つ。後で聞いた話しであるが、カニ氏はこの闇と雨の中でパンクをし、かろうじて修理をしたという。タイヤの中に雨水が入らないよう、身体でカバーしながら修理をするのがコツだそうだ。

 気持ち小止みになった道を快走する。水溜りになった場所も気にせず、最後の力を振り絞ってペダルを漕ぐ。ウィニングラン・・・そんなたいしたモノではないが、充実のロングライドの達成感を味わいつつ、脚の疲労も忘れてひた走る。

 無事にスタート地点へ辿り着く。zenさんは先に帰ったようだ。ひろ○う氏は着替えを済ませ、クルマの中で仮眠を取っていた。私も早速、着替えを済ませる。乾いた衣類の有難さが身にしみた。

 待つこと1時間、最終グループのカニ氏、てかり氏、痩せロバ氏が到着した。その顔は、疲労感を上回る充実感で満ち溢れていた。カニ氏は、濁河の上りで膝を痛め、テーピングでなんとか凌いだという。てかり氏は、久々野でギブアップを決めていたが、痩せロバ氏の励ましとアドバイスで230kmを走りきったという。

 エントリーは6名、完走5名。試走とはいえ、かなりハードな走りとなった。230kmを15時間(早い人は12時間強)獲得標高差3000m、フラットなコースであれば有に350kmの負荷があったという。

 究極のサイクリング、素朴にどこまで走れるのかなという興味は充分に満たしてくれたロングライドプランであった。同行してくれた仲間に最大の感謝を述べたい。ありがとうと・・・

 このロングライドで多くのものを学んだ気がする。走りはもとより、ペース配分、ギア比の設定、タイヤのチョイス、ブレーキの調整、食料や飲料の補給、寒さや雨に対する装備、灯火類の強化・・・いい加減な経験や装備では確実に跳ね返される・・・心・技・体・・・この三つのバランスが取れてようやく完走が達成できるというシビアな遊びであることが実感できた。

 最終的には心のありよう・・・いかにモチベーションが維持できるかだと思った。これもブルベの体験者、痩せロバ氏が居てくれたおかげで走れたように思う。

 10月18日(土)にこの「美濃飛騨ロングライド230km」の本番を開催する。一人でも多くの方が同じ感動を味わってくれることを期待したい。

アバウトなコースマップは
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=a9f69eefb816c8c0ecf2b5579bf81591

追伸
今回の試走にサポートカーを出していただいたY嬢に感謝を申し上げます。

輪旅 美濃飛騨ロングライド230kmへ!! その2

2008-09-21 14:26:39 | Weblog
《輪旅 美濃飛騨ロングライド230kmへ!! その2》

 程なくして道の駅「はなもも」に着く。ここが第二の休憩ポイント、時間は11時30分で、先行者より20分ほど遅れているようだ。ここから先へ進めば標高1900mの濁河への上りとなる。引き返すならここがポイントかもしれない。

 若い連中は、すでにスタートし、今頃は激坂をあえいでいるころであろう。若いということは羨ましい・・・といってもそれ程には違わないのだが。サポートカーをお願いしているY嬢と世間話をする。「スミマセンね!こんなおバカプランに一日付き合っていただいて・・・」と。

 今日、参加のメンバーは、私を除いては歴戦練磨の持ち主ばかりである。痩せロバ氏はパリ・ブレスト・パリの経験者。カニ氏は糸魚川ファストランのベテラン。ひろ○う氏は大垣のレーシングチームで鍛え上げた人。zen氏は毎月のヒルクライムイベントを渡り歩き、てかり氏はブルべの経験者である。私の出る幕はないのである。

 思案の結果・・・というより、端から濁河コースは無理なわけで、ショートカットコースの鈴蘭峠越えを選ぶ。すでに脚のパワーは使い果たし、休み休みの行軍となる。ソロが基本の私には、マイペースで自転車を走らせるほうがストレスがなくて良い。

 何度か休んでは走りを繰り返し、這う這うの体で鈴蘭峠へ辿り着く。御嶽の姿は見えるものの、霞んでハッキリとはしなかった。碑の前で腰を下ろし、しばらく休む。

 鈴蘭高原は寂れていた。スキー場も閉鎖され、観光客がやってくる場所では無くなってしまった。閑散とした別荘と、やたら派手なペンション群との対比が印象的であった。

 坂を下り、秋神川に沿って更に下る。国道361号に出合って左折し、朝日の道の駅「ひだ朝日村」を目指す。クルマの通行はほとんど無く、快適に飛ばす。

 ひろ○う氏より頻繁にメールが届いていた。濁河峠からチャオスキー場の辺りは標高が1900m近くあり、気温は14度とのこと。半袖、短パンでは凍えてしまうであろう。アームウォーマーやレッグウォーマーがあると心強い。

 道の駅「ひだ朝日村」で三回目の休憩を取る。トイレも食料もある道の駅は有難い。ストレッチをしながら後続を待つが、先を急ぐことにした。10月の本番では、ここが最終のチェックポイントになり、ここでギブアップするか、意を決して完走を目指すかの分かれ道となる。

 先の信号交差点のコンビニで食料と飲料を補給する。ここでひろ○う氏が追いついてきた。なんとコルナゴのフロントギアは39T、これで濁河峠を上るとは脅威である。ちなみに私のフロントギアは26Tである。

 正直、私は久々野より国道41号の歩道を走って帰路に付く腹積もりをしていたのだが、ひろ○う氏の気迫に引っ張られ、位山峠を越えることにした。仲間の存在は有難いものである。

 国道41号の信号交差点を越え、モンデウス・スキー場方面へ向かう。ちなみに、今回のコース230kmの中で目立った交差点は二つしかない。県道98号に出会い、左折してあららぎ湖を目指す。

 ダム湖を過ぎ、更に位山峠へ向かう。この道はかつての美濃と飛騨をつなぐ官道で、とても雰囲気があった。峠から下る途中には飛騨牛の牧場が山の斜面に造られていた。時間は17時、まだまだ明るいにが嬉しい。

 上呂(下呂温泉は有名!?)に降り立ち、午前中に通った飛騨川右岸を萩原へ快走する・・・といっても、一日の疲れはさすがに隠せない。気合を入れてひた走る。

 萩原より、坂を上がって日和田トンネルへ・・・夕暮れの闇がひたひたと訪れ、峠道より見下ろす萩原の街中に明かりがともり始める。

 トンネルを出たところでランプを装着する。今回はLEDのヘッドランプをヘルメットに付けてみた。頭部であれば、頭上の標識を照らしたり、路肩を確認したりするのに都合が良いと考えたからだ。

 程なく、馬瀬の道の駅「美輝の里」へ。昼間と違い、夕暮れの道の駅には誰もいない。トイレを済ませ、ボトルに水を補給してから上之保を目指す。

 暗闇の金山ダム「東仙峡金山湖」は不気味としかいいようがない。運が悪いことに雨も降り始めた。ポンチョを着込み、雨と寒さに備えた。

その3へ続く・・・