Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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輪旅その1 信州・乙見山峠を越える!!

2008-07-31 20:50:31 | Weblog
《輪旅その1 信州・乙見山峠を越える!!》

 乙見山峠(1520m)を知ったのは、今から35年ほど前、ニューサイクリング誌の紀行文からであったように思う。その内容は忘れたが、峠名だけは覚えていた。

 50代の半ば、この年になって、その峠を訪れることができたことにある種の感動を覚えた。願っていれば、いつかは実現すると。

 木曜の夜に岐阜を車で発ち、ひたすら一般道の国道19号を長野に向けて走る。ガゾリンがリッター180円では、遠出もままならない。高速代を削って下道を走る。

 豊科より高瀬川沿いのオリンピック道路に入り、白馬を目指す。小谷村中土駅に着いたのは午前1時。同行のH氏と駅前で仮眠を取る。

 6時30分、姫川に沿って走り始め、橋を渡って小谷温泉を目指す。信州らしい田舎の風景が続く中谷川に沿った道は、徐々に高度を上げて行く。

 道が大きくS字を描いて山の斜面に上がって行くところに小谷温泉はあった。「山田旅館」木造三階建ての建物は古く、今も湯治場の雰囲気が色濃い。玄関の表札には「北安曇郡中土村一万八千八百三十六番地」とあった。

 お湯は高温で透明、打たせ湯が気持ち良かったような・・・昔、雨飾山の登山の後で入った記憶がある。これから自転車で峠を越えるため、お湯に入るのはあきらめた。

 雨飾荘を過ぎ、少し上がると妙高への分岐点へと出た。いよいよであるが、それほど道の勾配はきつくなく、ノンビリと、ジワジワと高度を稼いでゆく。

 車の通行はほとんどなく、大自然だけがたっぷりとある。何の制約もなく、自由気侭に走れるところが自転車旅の魅力である。上りの辛さも忘れてひたすらペダルを漕ぐ。

 途中、金山、天狗原山への登山口があった。以前、山スキーで訪れた焼山の隣に金山がそびえ、いつかは登ってみたいと思っていた山である。

 しばらくすると、谷を隔てた稜線上部に道らしきものが見えてきた。ひょっとすると、あれが峠・・・まだ、かなりの標高差があって気が滅入ってくる。

 沢を渡り、大きく右にカーブした辺りより道はダートとなった。いよいよ本格的な峠越えツーリングの始まり、道端に雪渓が残っていたのには驚いた。

 峠着9時30分、まあまあのペースで上れたようだ。写真で見慣れたトンネルが目の前に現れてほっとする。振り返れば百名山の雨飾山(1963m)が大きく屹立していた。

 乙見隧道(トンネル)を抜け、新潟県へ入る。道は相変わらずのダートで、700×28Cのスリックタイヤで来たことを悔やむ。同行のH氏はMTBのブロックタイヤで、快調に下っていった。

 途中、正面に乙見湖が。左に妙高山のなだらかな稜線が眺められる場所があった。その周りには笹ヶ峰高原の広大な樹林が広がっていて、気分のよい場所であった。

 やや上り返しながら樹林帯のダートを快走する。こんな場所ばかりであれば自転車旅は楽しくて仕方ない。しばし幸福感を味わう。

 笹ヶ峰牧場の近くへ出れば、人の気配が多くなり、下界に下りてきた感がする。道は舗装路に・・・眼下に広がる牧場を眺めながらダウンヒルを楽しむ。道は杉ノ原スキー場辺りより急激に高度を下げるため、スピードがぐんとアップする。強烈なブレーキングのため、リムが凄い熱を帯びていた。

 杉野沢で右折し、黒姫を目指す。ここで群馬のS氏と連絡を取る。あちらはクラブの行事で渋峠を目指しているようだ。お互いの健闘を誓う。

 黒姫高原でブルーベリーのソフトを味わい、黒姫駅より県道37号(長野信濃線)にて長野市内へ向かう。高台より見下ろす牟礼の田舎風景が雄大であった。

 今日の宿泊は長野市内、最後の峠となる坂中峠を越える。持参した地図が古いため、トンネルがあることに気づかずに旧道を上ってしまった。

 ここで雷雨に遭う。しばらくは木立の下で雨宿りをしたが、あまりの降りに我慢できず、ポンチョを着込んで下り始めた。雨は途中で止み、長野市内へ入る頃には晴れていた。

 七夕飾りの下を通って長野駅前へ出、その後に宿となる「あすなろ」へ入った。

アバウトなコースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=7dc0153f9087508c174d50874702e62b

峠旅 安倍峠から山伏峠へ!その2

2008-07-10 20:48:17 | Weblog
《峠旅 安倍峠から山伏峠へ!その2》

 雨畑(あまはた)ダムは1967年に出来たという。日本軽金属がアルミニュームを精錬するために造った私設のダムで、今も静岡市清水区の工場へ送電されているそうだ。

 雨畑川に沿って高度を上げてゆく。流出する土砂のせいでほぼ埋まったダム湖は異様な色をしていた。

 先行するお二人を後方から見送り、一人で見神の滝を見物する。水量が多いためか、とても立派な滝であった。

 林道井川雨畑線は走りやすかった。斜度はあるものの、適度に緩斜面があるために脚を休めることができる。車の交通量も少なく、どっぷりと峠旅気分が味わえた。

 稲又で大きな橋を渡り、トンネルを抜ける。その先に室草里という集落があった。戸数は5軒ほどか、猫の額ほどの土地にしがみ付くように家が建ち、山の斜面に畑が耕作されていた。昭和44年に道路が付けられるまでは陸の孤島であったという。昔、金山があったころは賑わいがあり、その後は焼畑で生計を立てていたという。

 更に奥、長畑にも人の気配があった。信州遠山郷の下栗にも驚いたが、ここも凄い場所であった。あと20年、いや10年後、ここに人が住んでいるかは疑問であった。

 正面の県境稜線が見えてくると、そこには、これから上るであろう林道が横に走っていた。あそこまで行かなければ峠へは着けない。あきらめ顔でペダルを漕ぎ続ける。

 川沿いから離れ、左に大きく方向を変えた辺りより尾根筋のつづら折に入る。原生林の中を行く道は日陰も多く、気分的にはとても楽になった。道路際の湧き水で喉を潤す。

 ようやく先行のお二人に追いつき、峠旅の辛さ、楽しさをお話しする。T氏のギアは、フロント32、リアが22という。この峠には厳しいと思うのだが、健脚なT氏には関係がないようだ。

 右手に三角形の立派な山が望める。笊ヶ岳であろうか。その奥は南アルプスであろうか、白い雪渓が遠望できた。

 ビラ雨畑から約4時間、ほうほうの態で山伏(やんぶし)峠、1834mへたどり着くことができた。

 峠に立つと、いつも思うことがある。それは峠の向こうとこちらでは空気が違うこと。静岡県側から吹き上げてくる風が気持ちよい。正目に見える山は大無限山(2329m)であろうか。

 峠の横に立つ木立の影で弁当をいただく。宿で作ってもらった質素な弁当であるが、長丁場の峠上りのあとであり、とてもご馳走であった。その後、しばしの昼寝を楽しんだ。

 待望のダウンヒル、気を引き締めて下りに入る。山梨側の路面状態は良好であったが、静岡側は整備がされていないようで荒れている。フォッサマグナによる地質のせいか、路肩から崩れた土砂や石ころが路面を覆っていた。沢水があふれた場所ではタイヤからの跳ね上げに閉口した。

 路面状態のコンディションが悪いため、豪快なダウンヒルとは行かなかったが、大井川沿いにある小河内の集落へと降りることができた。井川ダムの湖水と山の斜面の間に10軒以上の民家があった。背後の茶畑が綺麗である。

 今日の宿は千頭の清水館、大井川沿いに宿へ急いだ。

アバウトなコースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=422006af05a93d3f05f2ed1ffe544a37



峠旅 安倍峠から山伏峠へ!その1

2008-07-09 20:42:43 | Weblog
《峠旅 安倍峠から山伏峠へ!その1》

 静岡市の北部、安倍川や大井川の上流部と山梨県との境にその峠はあった。そこから少し奥へ入れば赤石山脈(南アルプス)という辺境の地でもある。

 新幹線で静岡駅に降り立ち、雑踏の繁華街を北西に向けて抜ける。駿河府中から駿府(すんぷ)といい、大御所、家康様が隠居所と決めた場所でもある。紺屋町、両替町、呉服町、研屋町、金座町、桶屋町と江戸時代のままの地名が嬉しい。

 県道27号(別名、安倍街道)へ入り、忠実に北上をしてゆく。道幅はゆったりとあり、自転車で走るのに不自由はないが、市街地のため、面白くもなんともない。

 「最後のコンビニ」という看板につられ、食料と飲料を買い込む。いつものロールパンが50円以上もアップしているのに驚く。ガソリンは180円台に・・・貧乏人は外出するなと言われているようなものである。

 賤機(しずはた)を過ぎ、玉機(たまはた)橋まで来ると景色は一変し、山間の田舎風景となる。ここで左折し、富士見峠へ向かえば井川は近い。

 更に安倍川沿いに上流へと向かう。集落は減り始め、気持ち道の勾配も増してくるが、インナーギアを使うほどでもない。

 道の名は梅ヶ島街道とか。最奥の集落に梅ヶ島温泉があり、以前より訪れてみたいと願っていた場所である。

 山の中腹を横切る道が見えたところが梅ヶ島温泉であった。5件ほどの旅館が整然と並ぶ風景は、ちょっと想像と違っていたが、秘境ムードは充分にあった。

 旅館街の途中より右折し、そこより豊岡梅ヶ島林道が始まる。行き成りのジグザク道に面食らうが、快調に高度を上げていった。

 しばらくすると、右下に安倍の大滝が眺められたが、何分、小さすぎてその迫力は感じられなかった。

 鯉ヶ滝で小休止。昨夜、この辺りは豪雨のようで、水量を増した滝は豪快であった。滝の上に、これから上がるであろう道が見えた。

 八紘嶺(はっこうれい)1,918mへの登山口があった。この山は格好がいいらしい。いつかは登ってみたい山である。

 県境に突き当たった駐車スペースが峠かと思えば、道は更に上へ上がっていた。尾根を左へ曲がり込み、下り始めたところが安倍峠(1,416m)であった。

 旧の峠は道路を少し下りたところで、笹に囲われて昔の雰囲気が色濃い。新しい道やトンネルで通過する今時の峠はすべてまがい物といわざるを得ない。

 ちなみに、安倍峠は、戦国時代に武田信玄が梅ヶ島付近で取れた金を甲斐へ運んだ道だという。

 ガスのかかり始めた道を慎重に下ってゆく。ものすごい九十九折で、カーブを何度も通過する。晴れていれば富士山の雄姿が眺められるとの話しであるが、眺望は次回へのお楽しみとなった。

 大城川へ出会えば急坂は終る。その土砂で埋まった川原は荒涼としている。このエリアをフォサマグナが通っていて、地質はかなりもろいようだ。宮城のような地震が起きれば、私は永遠に土砂の下に眠ることになろう。

 国道52号へ出会い、身延を目指す。ソロの峠越えも辛いが、大型トレーラーが横をかすめるのはもっと辛い。

 身延山久遠寺、いわずと知れた日蓮宗の総本山である。日蓮宗(にちれんしゅう)とは、鎌倉時代中期に日蓮によって興された仏教宗派。法華宗とも称する・・・と、ネットのあるサイトにあった。

 時間の都合で、山門だけを見て早川町を目指す。富士川に沿って北上。早川に出会ったところで左折し、雨畑へ向かう。

 静岡駅をスタートしてから8時間以上が過ぎている。走行距離も100km近い。先に宿へ入っているO氏に電話を入れ、着予定の時間を告げる。宿で仲間が待ってくれているのはとても心強い。

 ビラ雨畑は昔の学校跡を利用している施設で、とても居心地がよく、宿泊費も7千円と嬉しい。ゆったりと温泉に入り、旨いビールを数本、瞬く間に飲んでしまった。



峠旅 奥飛騨・茂住峠へ!!

2008-06-17 20:13:39 | Weblog
《峠旅 奥飛騨・茂住峠へ!!》

 かつて飛騨の神岡は国内有数の非鉄金属鉱山であった。その歴史は古く、奈良時代に遡るという。栃洞坑、茂住坑、円山坑などより亜鉛、鉛、銀を産出し、江戸時代には国主金森氏が治める天領とされていた。

 明治期になり、三井組が採掘をするようになってから産出量は大幅に増えたが、やがてその鉱毒のカドミウムが神通川を汚染し、イタイイタイ病の原因となった。

 今では、精錬所の煙突から排出された鉱毒ではげ山となった木々も、緑を戻しつつある。その坑道も、スーパーカミオカンデとして宇宙から到来する素粒子ニュートリノの研究施設へと変化した。ノーベル賞を授与された小柴教授のことは記憶に新しい。

 今回の峠旅は茂住峠(1,060m)東茂住の交番横よりスタートをする。峠までの標高差は800mあまり、6名のサイクリストは冗談を交わすこともなく、黙々とペダルを踏み続けた。

 このルートは、ほとんどが照葉樹林に覆われ、濃い緑のトンネルが延々と続く。時より見かけるのは鉱山時代の施設で、坑夫をトロッコで運んだと思われる客車も放置されていた。

 沢の水は豊富で、水分の補給には困らない。同行のtajiさんに「汚染はされていませんよね!」と確認をしてみる。スタート地点より1時間半、ようやく茂住峠へと辿り着いた。

 峠にはお地蔵さまが奉られていた。かつて長棟に鉱山があり、人が住んでいたという。その時代に使われた峠道なのであろうか。かすかな道の跡が残っていた。

 いよいよダートの林道下りである。富山平野まで長棟川に沿って付けられた林道は、ほとんど水平に近く、快適なMTBツーリングが楽しめる。

 その渓谷は険しく、林道から谷底は見えない。コースを外せば千尋の谷へまっさかさま、命の保障はあるはずもない。それでも童心に返った6名のサイクリストは、嬉嬉として自転車を走らせていた。

 断崖絶壁に掘られたトンネルをいくつも抜け、その中には素掘りのものもあった。大きな岩石が沢の中に重なるところに地蔵さまが奉られていた。

 奥山発電所の送水路管を過ぎ、長棟第一発電所への分岐点を過ぎれば、桧峠は近い。峠を越せば富山平野へまっしぐらに下るだけである。無口であった皆の顔に安堵感が漂っていた。

 当初の予定では旧の大山町から大沢野町笹津を経て、細入村より国道41号を神通川沿いに遡って東茂住へ戻るプランであったが、大清水の辺りより「林道・町長水須線」へ入って町長へとショートカットをこころみた。

 車がまったく通らない林道からは富山平野が眼下に眺められた。東方向に立山連峰が望めないかと期待したが前衛の里山が邪魔をしていて期待はずれであった。

 町長よりは神通川の右岸を遡る。国道のバイパス工事なのか、巨大な斜張橋が現れた。無数に張られたワイヤーで吊り下げられたアーチが中央でドッキングし、完成は間近のようであった。

 神通峡の部分は、庵谷トンネルへ迂回し、再度、ダムのところより右岸へ戻って先へと進む。この区間は、自転車ならなんとか通過できたようであった。

 舟渡の辺りは野仏の里と呼ばれ200体あまりの石仏があるという。飛騨街道にあったという東猪谷関所跡を過ぎ、東茂住のスタート地点へと戻った。走行距離60km、約7時間の山岳ツーリングであった。パンクや事故もなく、充実した一日を仲間と過ごせたことに感謝をしたい。

アバウトなコースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=5f1a086d14a9bbfcbc9046d9f32b05f1

フォトアルバム(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/26021/


輪旅 中山道与川道を走る!!

2008-06-04 10:52:45 | Weblog
《輪旅 中山道与川道を走る!!》

 江戸時代、五街道という主要幹線があり、東海道と並ぶ重要な街道として中山道があった。

 日本橋と三条大橋を69の宿場で結ぶ中山道は、箱根越え、大井川の渡し、七里の渡しを嫌う旅人に利用されたという。その道中は、山間を行くために決して楽ではなかったようだが。

 今回、木曽路と呼ばれる野尻宿と三留野宿の間にある与川道(よがわどう)を自転車で訪れてみた。この区間は、木曽川にそって正規の街道があったが、川の増水やがけ崩れが多く危険であったため、与川へ迂回する道が造られたようである。

 出発は南木曽町役場から。JR中央線の跨線橋を越えてすぐに右折し、南下してゆく。この山裾を縫ってゆく平坦な道は、かつての森林鉄道の軌道跡らしく、南木曽の町や妻籠宿を眼下に眺めながらゆく快適な道であった。

 今日の同行者はこまさん。自転車、テニス、フライフィッシング、登山とアウトドアをこよなく愛する好青年?で、「レースよりツーリングが好きです!」という頼もしい同行人でもある。

 妻籠城跡を過ぎ、大妻籠の集落が対岸に見えるころ国道256号へ出会う。しばらくは国道を走り、南木曽温泉の辺りより旧道へ入って蘭(あららぎ)の町中を走り抜ける。昭和の頃のままの床屋や酒屋の佇まいが嬉しい。

 ちなみに、島崎藤村などが属していた蘭派というのはここの地名(蘭川?)から名づけられたという。

 レトロなコンクリート製の本谷橋を見送って、長者本谷川に沿って上ってゆく。道は林道然となり、山の緑と川のせせらぎの音だけの世界へと入ってゆく。時より鳴くホトトギスが気持ちを和ませてくれる。

 舗装路が谷底へ下りてゆく辺りで左折し、ゲートを越えて地道に入る。いよいよ与川林道へ入ったようだ。よく踏まれたダートは、MTBのタイヤに丁度良く、じわじわではあるが高度を稼いでゆく。

 三叉路に出会った辺りが与川峠のようである。観光コースではないので、看板などは一切ない。

 少し下ったところから残雪に覆われた御嶽や乗鞍岳が遠望できた。今日、クラブの仲間がその場所でレースに参戦していると思うと違う感動があった。

 伐採小屋のある三叉路で右折し、さらに林道を走る。清冽に流れる沢水を飲むと心なしか甘い感じがした。

 フキ採りのご婦人と熊の話しをし、与川地区へと一気に下った。向田で橋を渡って上流へと向かう。宇礼の辺りはタラノメの栽培が盛んなようである。

 更に道を詰めると再び地道となり、じわじわと高度を上げてゆく。無名な峠を越え、下りに入ると正面に中央アルプスが忽然と現れた。空木岳、南駒ヶ岳、越百山の辺りであろうか。雪は少なくなっていたが、十分に迫力のある眺めであった。

 なぜか木曽なのに伊奈川という川に沿って下る。この道も森林鉄道の跡らしく、狭い石組みのトンネルを潜った。

 国道19号に出会い、殿大橋を渡って右岸を下り、野尻宿を目指す。ちなみに木曽殿とは木曽義仲のことで、松尾芭蕉も尊敬?(源氏がキーワードか?)していたようである。近江膳所の義仲寺に二人は並んで眠っている。

 野尻向橋を渡り、野尻宿へ向かう。この橋の上流には、赤錆びてはいるが立派な森林鉄道の鉄橋が残っていた。木曽ヒノキの伐採が盛んであったころの歴史遺産として長く残してもらいたいものだ。背景の木曽山脈(中央アルプス)が絵になっていた。

 野尻宿を横切って、再び山道に入る。のぞきど森林公園の看板が目印となる。道は急峻で、グイグイと高度を上げてゆく。相変わらずこまさんは元気で、見る見ると離されてゆく。

 このルートが与川道であり、稜線を越えるところが根ノ上峠であった。舗装路より右に入ったところに峠の看板があり、旧の道筋を確認する。

 慎重にブレーキを掛けながら下ってゆく。当時の雰囲気が色濃く残る道はとても心が落ち着く。「左のぢり、右やまみち」と記された地蔵様が途中にあった。

 再び舗装路に出、三留野宿を目指す。坂本平辺りで対岸へ渡り、旧の与川道に沿って走る。旧道は山裾のあぜ道のようなところを通っているようだが、時間の都合もあり、舗装路をゆく。

 最後の上りとなる桃木峠を越える。この辺りは、昔、読書村といったそうだが、今も字名で残っていた。

 木曽のひなびた農村風景を縫って南木曽の町へ下りていった。陽も傾き、逆光に向かって最後のランを楽しんだ。走行メーターは65kmを指していた。

アバウトなコースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=f35c24b8a1d3b0a0049f846e6fbd8cca

フォトアルバム(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/23262/