≪東海道・桑名宿から草津宿へ!その2≫
『庄野宿』
石薬師宿の一里塚跡よりは田んぼの中を行く。安藤広重が描く風景版画の中の「庄野の白雨」はこの辺りで描かれたと庄野宿資料館の管理人より聞いた。旧家を移築したという建物は当時のままの高札が展示してあり、見応えがあった。入場無料がありがたい。
神戸領領界石、亀山領領界石と通り過ぎ、和泉橋を渡って亀山宿へと入ってゆく。
『亀山宿』
有名な亀山ローソクを左に見て、徐々に繁華街へと進んで行く。鈴鹿川の河岸段丘に発達した亀山市は城下町でもある。本丸町辺りより右上に見える石垣の上には今も多門櫓が建ている。
野村一里塚を過ぎ、坂を下って鈴鹿川の堤防上をしばらく走ると関宿は近い。
『関宿』
坂を上り始めると、両側に手入れの良くされた民家が現れてくる。道は土色にカラー舗装がされ、家々の軒先にはかつての屋号が看板として掲げてあった。平日にもかかわらず、観光客らしき集団が徘徊していた。歴史的に価値のある街並みが観光という手段で生き残るのは良いとは思うが、個人的に興味が湧かず、急いで通り過ぎた。
『坂下宿』
国道1号に沿ってしばらく走り、市ノ瀬より右に折れて旧道を走る。町は完全に忘れ去られ、人っ子一人いない。たまに見掛ける古い民家は当時のままのようで(と言っても建てられたのは大正から昭和初期であろうが)なぜか見ているだけで心が落ち着く。
宿の外れからいよいよ鈴鹿越えが始まる。今も昔も難所のようで、国道も大きくS字カーブを描いて高度を上げている。旧道は鈴鹿川を離れ、真っ直ぐに坂を上って片山神社横へと出る。更に山道は続き、国道を潜って階段状の道を上がるとなだらかな平地となった峠へと出る。
休憩を兼ねて鏡岩を訪れる。途中には田村神社跡という碑があり、瓦の欠片も散乱していた。鏡岩に立つと鈴鹿側の展望が眼下に開けていた。当時の追いはぎはここに立て獲物の旅人を待ち伏せたのではと思える場所であった。
『庄野宿』
石薬師宿の一里塚跡よりは田んぼの中を行く。安藤広重が描く風景版画の中の「庄野の白雨」はこの辺りで描かれたと庄野宿資料館の管理人より聞いた。旧家を移築したという建物は当時のままの高札が展示してあり、見応えがあった。入場無料がありがたい。
神戸領領界石、亀山領領界石と通り過ぎ、和泉橋を渡って亀山宿へと入ってゆく。
『亀山宿』
有名な亀山ローソクを左に見て、徐々に繁華街へと進んで行く。鈴鹿川の河岸段丘に発達した亀山市は城下町でもある。本丸町辺りより右上に見える石垣の上には今も多門櫓が建ている。
野村一里塚を過ぎ、坂を下って鈴鹿川の堤防上をしばらく走ると関宿は近い。
『関宿』
坂を上り始めると、両側に手入れの良くされた民家が現れてくる。道は土色にカラー舗装がされ、家々の軒先にはかつての屋号が看板として掲げてあった。平日にもかかわらず、観光客らしき集団が徘徊していた。歴史的に価値のある街並みが観光という手段で生き残るのは良いとは思うが、個人的に興味が湧かず、急いで通り過ぎた。
『坂下宿』
国道1号に沿ってしばらく走り、市ノ瀬より右に折れて旧道を走る。町は完全に忘れ去られ、人っ子一人いない。たまに見掛ける古い民家は当時のままのようで(と言っても建てられたのは大正から昭和初期であろうが)なぜか見ているだけで心が落ち着く。
宿の外れからいよいよ鈴鹿越えが始まる。今も昔も難所のようで、国道も大きくS字カーブを描いて高度を上げている。旧道は鈴鹿川を離れ、真っ直ぐに坂を上って片山神社横へと出る。更に山道は続き、国道を潜って階段状の道を上がるとなだらかな平地となった峠へと出る。
休憩を兼ねて鏡岩を訪れる。途中には田村神社跡という碑があり、瓦の欠片も散乱していた。鏡岩に立つと鈴鹿側の展望が眼下に開けていた。当時の追いはぎはここに立て獲物の旅人を待ち伏せたのではと思える場所であった。