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輪旅 甲賀の里・信楽を行く!

2007-05-10 22:17:14 | Weblog
≪輪旅 甲賀の里・信楽を行く!≫

 近江鉄道の終着駅でもあるJR草津線の貴生川駅前に27名のサイクリストが集まった。今回は京都の2つのクラブさん、名古屋の2つのクラブさんと奥美濃サイクリングクラブとの合同ランに参加である。

 いささか時代遅れの駅前商店街を抜け、野洲川の支流に沿って堤防道路を下って行く。平行して走る草津線は、中山道と東海道の追分となる滋賀の草津より三重の柘植を結ぶローカル線で、昔、C58という蒸気機関車が走っていたように記憶をしている。

 昔の主要幹線、東海道が野洲川を渡るポイントに出合う。横田の渡しといい、江戸時代は4艘の船をつなげて仮の橋を架けたという。いわゆる船橋というものであろうか。対岸には1823年に建てられたという高さ10m(日本一?)の常夜灯が望まれた。

 天保義民の碑を過ぎ、三雲駅のところより山間へ入って行く。県道53号牧甲西線の上りに入る。27名の隊列は徐々に乱れ、健脚を誇る連中はガシガシとスピードを上げて先行して行く。

 ゴルフ場を過ぎ、やがてアセボ峠に辿りつく。昔の旅人がこの峠を越える時、あまりの汗にアセモができたところから名が付いたとか。かなり眉唾っぽい話であるが。新道の上に昔の峠と思われる場所があり、地蔵さまが奉られていた。

 心配していた雨が降り出す。それぞれが好みの雨具に身を包み、峠の下りに入った。スピード感を感じながら右に左にカーブをやり過ごす。降り切ったところが信楽の里、周囲を小高い山に囲まれた盆地状の農村地帯である。

 唐突に紫香楽宮跡が右手に現れた。笹に覆われた赤松林の丘は、奈良時代の天平年間に聖武天皇が都を置いた場所である。凄い史跡であるにもかかわらず、仲間は足早に先へ行ってしまった。

 雲井駅の辺りより裏道に入り、信楽高原鐵道沿いに南下する。長閑な田園風景が続き、家々の前に置かれたタヌキの置物に信楽らしさを感じさせてくれる。

 終着となる信楽駅前の「魚松」にて昼食をいただく。お椀をデフォルメ?した大きな器に盛られたご馳走は豪華そのもの。それにお寿司まで付いて大満足であった。

 帰りは同じ道を戻り、雲井よりは国道307号を走る。高原状の原野を行くこの区間も魅力的で、鉄道がその雰囲気を盛り上げてくれていた。

 国道の途中より旧道に入り、小野峠を越えて貴生川へと戻った。水口は東海道の宿場町で、水口城もあった。水口藩は二万五千石で家康も頻繁に泊まったとか。

 たいした雨にも遭わず、和気藹々のうちに合同ランは終了した。たまにはこのようなプランも良い・・・自転車の仲間と交流出来ることは違う楽しみがある。