《輪旅 御嶽・開田合宿へ!!》
今から35年も前のこと。当時、愛読していたニューサイクリングという雑誌に地蔵峠の紀行文が載っていた。それは秋の頃であろうか、地蔵峠から眺める雪を被った御嶽は、まさしく霊峰といえる存在感があった。
その紀行文に誘われ、単独でサイクリングに出掛けた。その時の宿は木曽福島の旅情庵ユース・ホステルだったと記憶している。
今回、所属するクラブのプランで再び地蔵峠を訪れることが出来た。スタートは木曽福島。今では旧の木曽福島町、開田村、三岳村、日義村との町村合併で「木曽町」になっている。
余談だが、「日義村」とは、朝日将軍木曽義仲が平家討伐の旗挙を行った地であることから木曽義仲にちなんでと命名されたという凄い村名だったのである。
街中を抜け、行人橋を渡って山村代官屋敷前を通り過ぎる。木曽山林高校のところより左折し、黒川の上流に向かって谷間を上って行く。この地区には多くの道祖神が奉られ、信仰心の厚さを感じる。
渡合の農協前で左折。そのまま直進すればトンネルで開田へ至るが、それでは自転車旅の面白みがない。当然のごとく、旧道で地蔵峠を目指すことになる。
木曽の厳しい自然に耐える低い屋根の民家が点在してる。中には昔のままの板葺き屋根に石を載せた家も残っていた。
二本木温泉あたりより、道の斜度は増してくる。初めての宿泊を伴う峠越えにチャレンジする女性軍は緊張気味で、「宿に着いたら美味しいビールが飲めるよ!」と励ましながら自転車を進める。
やがて唐沢の滝へ出会う。マイナスイオンを感じながら記念写真撮影となる。これから上がる滝の上の道のことは内緒にしたかったのだが・・・
新緑のトンネルの下、あるものは旧飛騨街道に沿って。あるものはペダルを漕ぐのを止め、二本の足で木曽の自然を味わっていた。やがてひっそりと地蔵様が待つ峠へと至る。
何年振りかで見る地蔵様は昔のまま、優しいお顔をされていた。雪に覆われた乗鞍岳の景色も昔のままだった。
少し下ったところが御嶽の展望台。そこからの眺めは言葉を失うほどの絶景、峠の上りの辛さは吹っ飛んでしまう。信仰の対象としての御嶽、信者でなくても手を合わせたくなる景色であった。
豪快なダウンヒルを楽しみ、末川の集落へ下り立つ。ここでしばしの観光タイム、コーンソフトを味わい、木曽馬の里で癒しの時間を楽しむ。
宿まではもう少し、左前方に御嶽の雄姿を眺めながら、国道361のアップダウンを快走する。シングルトラックの鬼、hiro氏だけは旧飛騨街道を経て、西野峠、城山へのルートを採る。
九蔵峠、今日最後のサプライズ?に一喜一憂、だまされたと思うか、最後の大展望を楽しめたと思うかはそれぞれの思い次第であった。
今日の宿は、土橋の「民宿・いづみ」さん。以前、クラブのイベント「御嶽一周ラン」でお世話になった宿である。おばあちゃんが優しく出迎えてくれた。
今回の参加者は12名。名古屋から自走で、治部坂峠~権兵衛峠~地藏峠と250kmを走ってくる人。信州白馬から、松本~塩尻~伊那~権兵衛峠~地蔵峠と走ってくる人。下呂~小坂~濁河峠~長峰峠を越えてくる人と、それぞれが自由なプラン、コースで参加できるのが今回の合宿の特徴でもある。
6時半、全員が宿に集まり、盛大な宴会となる。テーブルが隠れるほどのご馳走の数々、ビールが何本も並んだことは言うまでも無い。これから11時過ぎまで、延々と自転車談義が続いたのには驚きを隠せなかった。
翌日、今日も快晴で、5時には起き出して城山登山へと向かう。まるで疲れ知らず、これも御嶽さんがくれるパワーかと感心してしまう。
かつて烽火場でもあった城山は最高の展望地であった。誰かが担ぎ上げたランドナーを中心に、皆の記念写真を撮る。
朝食も豪勢、サイクリストは大食いで、三杯のお代わりをする人も。これが走るエネルギーになるようである。
今日もそれぞれが自由なコースプランで帰宅。長峰峠~濁河峠~下呂を経て名古屋へ帰る人。長峰峠~野麦峠~松本を経て白馬へ蛙(帰る?)人。地蔵峠から権兵衛峠を目指す人と、まさしく奥美濃流の超バラバラプランであった。
スタンダードプラン組は、旧の三岳村経由で木曽福島へと戻った。フィニッシュはやはり信州、蕎麦で今回の合宿を締めくくった。お土産は木曽の銘酒「七笑」、また家に帰って飲もうというところが奥美濃らしいようである。
参加者:ginnan、亀三郎、pinehill、無事蛙、こまわり、はなしま、hiro、ちね輪、ビアンカ、リミド、wajin、(特別ゲスト)ムーラン
今から35年も前のこと。当時、愛読していたニューサイクリングという雑誌に地蔵峠の紀行文が載っていた。それは秋の頃であろうか、地蔵峠から眺める雪を被った御嶽は、まさしく霊峰といえる存在感があった。
その紀行文に誘われ、単独でサイクリングに出掛けた。その時の宿は木曽福島の旅情庵ユース・ホステルだったと記憶している。
今回、所属するクラブのプランで再び地蔵峠を訪れることが出来た。スタートは木曽福島。今では旧の木曽福島町、開田村、三岳村、日義村との町村合併で「木曽町」になっている。
余談だが、「日義村」とは、朝日将軍木曽義仲が平家討伐の旗挙を行った地であることから木曽義仲にちなんでと命名されたという凄い村名だったのである。
街中を抜け、行人橋を渡って山村代官屋敷前を通り過ぎる。木曽山林高校のところより左折し、黒川の上流に向かって谷間を上って行く。この地区には多くの道祖神が奉られ、信仰心の厚さを感じる。
渡合の農協前で左折。そのまま直進すればトンネルで開田へ至るが、それでは自転車旅の面白みがない。当然のごとく、旧道で地蔵峠を目指すことになる。
木曽の厳しい自然に耐える低い屋根の民家が点在してる。中には昔のままの板葺き屋根に石を載せた家も残っていた。
二本木温泉あたりより、道の斜度は増してくる。初めての宿泊を伴う峠越えにチャレンジする女性軍は緊張気味で、「宿に着いたら美味しいビールが飲めるよ!」と励ましながら自転車を進める。
やがて唐沢の滝へ出会う。マイナスイオンを感じながら記念写真撮影となる。これから上がる滝の上の道のことは内緒にしたかったのだが・・・
新緑のトンネルの下、あるものは旧飛騨街道に沿って。あるものはペダルを漕ぐのを止め、二本の足で木曽の自然を味わっていた。やがてひっそりと地蔵様が待つ峠へと至る。
何年振りかで見る地蔵様は昔のまま、優しいお顔をされていた。雪に覆われた乗鞍岳の景色も昔のままだった。
少し下ったところが御嶽の展望台。そこからの眺めは言葉を失うほどの絶景、峠の上りの辛さは吹っ飛んでしまう。信仰の対象としての御嶽、信者でなくても手を合わせたくなる景色であった。
豪快なダウンヒルを楽しみ、末川の集落へ下り立つ。ここでしばしの観光タイム、コーンソフトを味わい、木曽馬の里で癒しの時間を楽しむ。
宿まではもう少し、左前方に御嶽の雄姿を眺めながら、国道361のアップダウンを快走する。シングルトラックの鬼、hiro氏だけは旧飛騨街道を経て、西野峠、城山へのルートを採る。
九蔵峠、今日最後のサプライズ?に一喜一憂、だまされたと思うか、最後の大展望を楽しめたと思うかはそれぞれの思い次第であった。
今日の宿は、土橋の「民宿・いづみ」さん。以前、クラブのイベント「御嶽一周ラン」でお世話になった宿である。おばあちゃんが優しく出迎えてくれた。
今回の参加者は12名。名古屋から自走で、治部坂峠~権兵衛峠~地藏峠と250kmを走ってくる人。信州白馬から、松本~塩尻~伊那~権兵衛峠~地蔵峠と走ってくる人。下呂~小坂~濁河峠~長峰峠を越えてくる人と、それぞれが自由なプラン、コースで参加できるのが今回の合宿の特徴でもある。
6時半、全員が宿に集まり、盛大な宴会となる。テーブルが隠れるほどのご馳走の数々、ビールが何本も並んだことは言うまでも無い。これから11時過ぎまで、延々と自転車談義が続いたのには驚きを隠せなかった。
翌日、今日も快晴で、5時には起き出して城山登山へと向かう。まるで疲れ知らず、これも御嶽さんがくれるパワーかと感心してしまう。
かつて烽火場でもあった城山は最高の展望地であった。誰かが担ぎ上げたランドナーを中心に、皆の記念写真を撮る。
朝食も豪勢、サイクリストは大食いで、三杯のお代わりをする人も。これが走るエネルギーになるようである。
今日もそれぞれが自由なコースプランで帰宅。長峰峠~濁河峠~下呂を経て名古屋へ帰る人。長峰峠~野麦峠~松本を経て白馬へ蛙(帰る?)人。地蔵峠から権兵衛峠を目指す人と、まさしく奥美濃流の超バラバラプランであった。
スタンダードプラン組は、旧の三岳村経由で木曽福島へと戻った。フィニッシュはやはり信州、蕎麦で今回の合宿を締めくくった。お土産は木曽の銘酒「七笑」、また家に帰って飲もうというところが奥美濃らしいようである。
参加者:ginnan、亀三郎、pinehill、無事蛙、こまわり、はなしま、hiro、ちね輪、ビアンカ、リミド、wajin、(特別ゲスト)ムーラン