《輪旅 伊勢本街道「玉造神社~三輪」》
関西の大先輩のお誘いで伊勢本街道を訪れてきました。
先ずは玉造稲荷神社より暗越奈良街道を東進・・・噂以上の難関、暗峠の激坂には降参!・・・矢田丘陵を越え、猿沢池にて右折して南下・・・歴史の道「上ツ道」も素敵でした。今宵の宿は桜井の割烹料理旅館!??
大先輩のご自宅、住吉大社より市内を走り、上町台地を経て玉造へ。これがなかなか大変、大阪市内の走行は数倍?疲れました。
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(玉造稲荷神社が起点)
いよいよ起点となる玉造稲荷神社へ。江戸時代、おかげ参りと称し、多くの庶民が伊勢神宮を目指してここより参宮の旅へと出発をしたとのことでした。強い味方が「浪花講」今時の協定旅館みたいなもので、安心して旅が続けられるしシステムが出来上がっていたようです。
心強いのが現地ガイド・・・大阪のサイクリングクラブのⅠさんに先導をしていただく。住宅街を縫って当時の面影が残る裏道を東に向かって走る。高麗橋のそばを通る・・・
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(暗越え)
初日のメインディッシュ・・・河内一宮となる枚岡神社の横より激坂が始まる。車一台がやっとの幅ながら国道308号、コンクリート舗装の道を快適?に押して歩く。結果、斜度が緩むことはなく、棚田が現れるあたりまで歩くこととなる。上部では集落も現れ、とても明るい感じで驚く。峠の茶屋付近では石畳も残されていた。
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(矢田丘陵にて)
生駒側も激坂・・・慎重にブレーキを掛けながら下ってゆく。竜田川を越え、更に矢田丘陵を越える。ここもなかなか良い感じで、振り返ると、越えて来た暗峠が背後に望めた。しばし、歩きでやってきていたおばあちゃんと談笑・・・
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(追分本陣)
いよいよ奈良盆地へ・・・下り立ったところが追分本陣となる村井家、郡山街道との分岐点でもある。茅葺の大和棟宿場建築は貴重な存在だそうだ。第二阪奈道路をくぐって尼ヶ辻へ・・・垂仁天皇陵が右手に見えれば奈良の町は近い。
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(丹波市・現天理市)
観光客で賑わう奈良町を進み、猿沢池の手前で右折・・・暗越奈良街道より往時の上ツ道へと入る。歴史を重ねた民家の佇まいが嬉しい。京終(きょうばて)の駅前を過ぎるとのどかな風景が広がる。
帯解寺で小休止・・・安産を願うお寺だそうだ。やがて天理市へ・・・天理教の門前町であり、今も黒い法被を着た信者が行きかっていた。古くは丹波市(たんばいち)といい、今も市場が立つそうだ。
大和(おおやまと)神社・・・戦艦大和にちなむ神社だそうだ。大和朝廷があったのではという巻向遺跡・・・卑弥呼の墓と云われる箸墓古墳のそばを通過する。
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(三輪・今西酒造)
大神(おおみわ)神社・・・背後にそびえる三輪山が御神体で、本殿がない神社。大和一宮でもある。その門前にある今西酒造を訪れてみる。女将さんも素敵、お酒も素敵・・・今宵の宿での楽しみがまた一つ増えた。
今日の宿は桜井駅前の「割烹・皆花楼」・・・その重厚な造りと裏腹にとてもリーズナブルな宿でした。