《輪旅 越中八尾から新湊、岩瀬へ!》
気持ちのよい朝・・・今日も走るぞと。先ずは八尾の街並み散策・・・昨夜の祭りがウソのように普通の生活がありました。
゛水音が聞こえない゛そう思って、太田とめは足をとめた。高山線の八尾駅の近くにある自分の家から、一気に長い坂一つを登って来た。七十歳をこした身にはこの坂がこたえる。越中八尾と呼ばれる富山県婦負郡八尾町には、坂の町という別名があって----高橋治著「風の盆恋歌」より
(八尾の街並み)
日本の道百選というのがあるそうで、諏訪町本通りが選ばれている。この坂の雰囲気がまたいい・・・自転車をゆっくりと漕ぎながら坂の上へ・・・振り返って見下ろす感じも素敵でした。
(癒しの風景)
八尾の町より県道25号を西進して山田温泉方面へ・・・行き成りの激坂に汗が噴出す。三杯お代わりをした朝食の一杯をすでに消費してしまったようです。サポートのSさんより冷えたスポーツドリンクとチョコの差し入れがありました。
中瀬の辺りで県道59号に出会い、北進して新湊市へ向かいます。
(海王丸)
新湊市、富山新港に隣接する海王丸パークへ・・・そこに浮かぶ帆船が海王丸。その優美な姿は海の貴婦人に相応しい・・・今もその帆はボランティアの方々が上げ下げをしているとか。
海王丸(かいおうまる)は、日本の航海練習船で大型練習帆船。初代海王丸と、2代目の海王丸II世がある。初代海王丸は1930年(昭和5年)進水、約半世紀にわたり「海の貴婦人」として親しまれ、1984年(昭和59年)引退、海王丸II世がそのあとを引き継いだ。姉妹船として日本丸がある・・・とあるサイトより
(海の幸)
富山湾といえば海の幸・・・海なし県に住む私としては外せない課題!?です。ブリ、ホタルイカ、甘エビ、岩ガキ、クロマグロ、ベニズワイガニ、バイ貝・・・中でも富山湾の宝石と呼ばれるシロエビと岩ガキは今が旬とか・・・涙が出るほど美味しかったのは言うまでもありません(笑)海王丸パークの中にあるレストランはリーズナブルでお勧め。おまけもしていただいたので・・・
(万葉線・越ノ潟駅)
海王丸パークより向きを東に変えて進みます。そこには素敵な赤い電車が・・・噂の万葉線のようです。路面電車を廃止した岐阜市内とは大違い・・・電車の走る街は魅力に満ちているように思いました。
万葉線は、正式には高岡駅前駅から六渡寺駅までが高岡軌道線(軌道)、六渡寺駅から越ノ潟駅までが新湊港線(鉄道)というように2路線に分かれているが、一体の路線「万葉線」として運行されている。かつて越中国守として高岡の伏木に赴任した大伴家持が、『万葉集』の編集をはじめ、数多くの歌を残したことにちなんで、加越能鉄道時代の1980年(昭和55年)に「万葉線」という愛称が付けられた・・・とあるサイトより
(臨港道路富山新港東西線・建設中の橋)
越ノ潟駅が終点・・・その先は海(富山新港)・・・隣りにそびえる巨大な橋は建設中のため、無料の渡船に乗りました。自転車での船旅・・・これも優雅で素敵です。
更に海岸線を・・・防波堤?の上を走って富山市内を目指します。もう秋なのか、浜で泳ぐ人はいなく、バーベキュウの家族連れが目立ちます。岩ガキでも焼いているのでしょうか・・・
(富岩運河)
岩瀬大町・・・ここは江戸時代に行き来した北前船の寄港地で、かつて繁栄した回船問屋・森家の佇まいに往時を偲ぶことができます。富山ライトレール・・・ここより、遠方からの参加者は輪行にて帰途へ・・・ポートラムというのでしょうか、近未来的な車両は格好良い・・・
神通川に沿って運河がありました。富岩運河・・・とがん、富山駅と岩瀬を結ぶからでしょうか。それは、スエズ運河やパナマ運河のように、陸地の高低差を閘門(水門)で調整しながら船が進む運河でした。ちょっとオランダの雰囲気が・・・
富山駅前で解散・・・今回は、地元の富山サイクリングクラブさんの企画・・・立山信仰芦峅寺、ミステリアスな池原隧道、坂の町八尾、優美な風の盆、老舗旅館、海王丸、北前船回船問屋、運河、富山地鉄、ライトレール、映画のロケ地、海の幸・・・盛りだくさん過ぎて感動のるつぼに・・・10年富山に通っても体験できないほどの中身の濃さでした。感謝感激!・・・富山CCの皆様、素敵なエスコートをありがとうございました。
気持ちのよい朝・・・今日も走るぞと。先ずは八尾の街並み散策・・・昨夜の祭りがウソのように普通の生活がありました。
゛水音が聞こえない゛そう思って、太田とめは足をとめた。高山線の八尾駅の近くにある自分の家から、一気に長い坂一つを登って来た。七十歳をこした身にはこの坂がこたえる。越中八尾と呼ばれる富山県婦負郡八尾町には、坂の町という別名があって----高橋治著「風の盆恋歌」より
(八尾の街並み)
日本の道百選というのがあるそうで、諏訪町本通りが選ばれている。この坂の雰囲気がまたいい・・・自転車をゆっくりと漕ぎながら坂の上へ・・・振り返って見下ろす感じも素敵でした。
(癒しの風景)
八尾の町より県道25号を西進して山田温泉方面へ・・・行き成りの激坂に汗が噴出す。三杯お代わりをした朝食の一杯をすでに消費してしまったようです。サポートのSさんより冷えたスポーツドリンクとチョコの差し入れがありました。
中瀬の辺りで県道59号に出会い、北進して新湊市へ向かいます。
(海王丸)
新湊市、富山新港に隣接する海王丸パークへ・・・そこに浮かぶ帆船が海王丸。その優美な姿は海の貴婦人に相応しい・・・今もその帆はボランティアの方々が上げ下げをしているとか。
海王丸(かいおうまる)は、日本の航海練習船で大型練習帆船。初代海王丸と、2代目の海王丸II世がある。初代海王丸は1930年(昭和5年)進水、約半世紀にわたり「海の貴婦人」として親しまれ、1984年(昭和59年)引退、海王丸II世がそのあとを引き継いだ。姉妹船として日本丸がある・・・とあるサイトより
(海の幸)
富山湾といえば海の幸・・・海なし県に住む私としては外せない課題!?です。ブリ、ホタルイカ、甘エビ、岩ガキ、クロマグロ、ベニズワイガニ、バイ貝・・・中でも富山湾の宝石と呼ばれるシロエビと岩ガキは今が旬とか・・・涙が出るほど美味しかったのは言うまでもありません(笑)海王丸パークの中にあるレストランはリーズナブルでお勧め。おまけもしていただいたので・・・
(万葉線・越ノ潟駅)
海王丸パークより向きを東に変えて進みます。そこには素敵な赤い電車が・・・噂の万葉線のようです。路面電車を廃止した岐阜市内とは大違い・・・電車の走る街は魅力に満ちているように思いました。
万葉線は、正式には高岡駅前駅から六渡寺駅までが高岡軌道線(軌道)、六渡寺駅から越ノ潟駅までが新湊港線(鉄道)というように2路線に分かれているが、一体の路線「万葉線」として運行されている。かつて越中国守として高岡の伏木に赴任した大伴家持が、『万葉集』の編集をはじめ、数多くの歌を残したことにちなんで、加越能鉄道時代の1980年(昭和55年)に「万葉線」という愛称が付けられた・・・とあるサイトより
(臨港道路富山新港東西線・建設中の橋)
越ノ潟駅が終点・・・その先は海(富山新港)・・・隣りにそびえる巨大な橋は建設中のため、無料の渡船に乗りました。自転車での船旅・・・これも優雅で素敵です。
更に海岸線を・・・防波堤?の上を走って富山市内を目指します。もう秋なのか、浜で泳ぐ人はいなく、バーベキュウの家族連れが目立ちます。岩ガキでも焼いているのでしょうか・・・
(富岩運河)
岩瀬大町・・・ここは江戸時代に行き来した北前船の寄港地で、かつて繁栄した回船問屋・森家の佇まいに往時を偲ぶことができます。富山ライトレール・・・ここより、遠方からの参加者は輪行にて帰途へ・・・ポートラムというのでしょうか、近未来的な車両は格好良い・・・
神通川に沿って運河がありました。富岩運河・・・とがん、富山駅と岩瀬を結ぶからでしょうか。それは、スエズ運河やパナマ運河のように、陸地の高低差を閘門(水門)で調整しながら船が進む運河でした。ちょっとオランダの雰囲気が・・・
富山駅前で解散・・・今回は、地元の富山サイクリングクラブさんの企画・・・立山信仰芦峅寺、ミステリアスな池原隧道、坂の町八尾、優美な風の盆、老舗旅館、海王丸、北前船回船問屋、運河、富山地鉄、ライトレール、映画のロケ地、海の幸・・・盛りだくさん過ぎて感動のるつぼに・・・10年富山に通っても体験できないほどの中身の濃さでした。感謝感激!・・・富山CCの皆様、素敵なエスコートをありがとうございました。