《伊賀上野 童仙房から多羅尾、御斎峠へ!!》
童仙房・・・その名前を知ったのは随分前で、ようやく憧れの地を訪れることができた。その場所は、京都府の最南端、南山城村に位置する。明治の初年ごろ、廃藩置県によって行き場を失った士族(氏族)のために開拓が行われたという。136戸、500人近い人達が入植したとか。
先ずは伊賀国一ノ宮「敢国神社」を訪れる。諸国一ノ宮巡り・・・奈良時代、地方の国へ赴任した国守の最初の仕事は、一ノ宮から順番に参拝することであったとか。
佐那具・・・昔、ここは伊賀国の国府があったところで、かつては府中村といったそうだ。今、そこには府中神社が祀られていた。
伊賀国分寺・・・名阪国道、友生インター近くに国分寺跡があった。今では笹原となり、立派な石碑だけが建てられていた。
(童仙房 ないおん寺にて)
関西線佐那具駅の近くよりスタートする。桜の満開には早かったが、気持ちの良い春の田園風景の中を走り貫ける。上野市街には藤堂高虎が築城(結果、城は未完に終り、現在の天守閣は昭和の時代に造られたとか)したという上野城が小さく望まれた。
新居の辺りより山間へと入って行き、徐々に高度が上がってくる。「和銅の道」という碑が気になった。ゴルフ場を回り込んだ辺りで右折をし、中矢の集落より三国越林道へ入る。
この三国というのは、三重、京都、滋賀を言うらしい。今回の輪旅は、三県を走るプランでもあった。入り口より5キロあまりは延々とした上りで、久し振りの峠ツーリングに脚が悲鳴を上げた。眺望は最高、ぐんぐんと高度を上げ、伊賀盆地の風景が眼下に広がってゆくのが気持ちよい。
展望台となる東屋で一服とする。クルマはほとんど通らず、雄大な景色を独り占めしながら、パンをかじった。
三県境の展望台があるというピークを越え、童仙房へと下って行った。地形が複雑なため、アップダウンがしばらく続き、少し不安になる。通るクルマもなく、道を尋ねる相手もいない。
(多羅尾にて)
林間より初めての水田に出会ってほっとする。水田は里が近い証拠、ちょっと横着をして、デジカメの動画を撮影しながら先へと進んだ。やがて民家が現れ、期待通りの風景に出会えて満足をした。
着いたところは野殿の集落とあった。童仙房の中心地はもう少し先のようだ。さらに長閑な風景の中を走って、小学校のある場所へと出た。ここは5番という字名とか、開拓時、京都の府庁に近い順に番号が振られ、そのまま現在の字名になっているそうだ。
4番の大神宮、ないおん寺、童仙房山荘を訪れてみた。この辺りは、宇治茶の生産も盛んなようで、手入れの行き届いた茶畑が美しい。折り返し、小学校のところより左折して9番を目指す。
しばらくは山間を走るコースとなる。樹林の下が笹原なのが標高の高さを感じさせる。時より現れる別荘風の建物が???これが京都の軽井沢と云われるゆえんであろうか。
途中、高麗寺を訪れる。その装飾を施された本殿?は朝鮮辺りのものであろうか。デザインや色使いは日本的ではなかった。
最終の字名となる九番へ至る。偶然居合わせた方と立ち話をする。昭和28年8月、この辺りは未曾有の大洪水に襲われたそうだ。一帯は河原状態となり、10日間ほど牛を連れて裏山へ避難したという。その立派な大和造りの建物の柱は、その災害時に倒れた大木を運び出した物が使われているとのことであった。
(御斎峠にて)
小さな峠を越えて滋賀県の多羅尾へと出る。多羅尾といえばあの名探偵の多羅尾伴内・・・ではなく、甲賀武士である多羅尾氏の出生地。江戸時代に代々が代官を務めたという名家でもあったとか。代官所跡を訪れてみた。陣屋跡には、今も末裔が居住されているそうだ。
次に、訪れたのが御斎峠(おとき峠)。本能寺の変の時、堺にいた徳川家康は、反信長派の襲撃を恐れ、三河へ逃げ帰った時のルートでもあるという。「神君伊賀越え」多羅尾氏や服部半蔵、伊賀、甲賀忍者の手助けを受け、宇治田原郷ノ口、裏白峠、朝宮、小川、御斎峠を越えて音羽、加太峠、伊勢の白子浜へ向かい、船で伊勢湾を渡って岡崎城へ戻った(逃げ帰った?)という。
伊賀盆地の夜景が美しいという峠から一気に下り、さらに、諏訪、音羽、波敷野、馬場へと走る。このルートをあの家康公も通ったという。この道は、自転車にとっても最高のロケーションであった。伊賀の田舎風景が色濃く残っている。
阿山町馬場に出、ここで右折して佐那具を目指す。伊賀から甲賀辺りの風景は、とても魅力がある。距離的に大阪や名古屋の通勤圏とはならず、未だに昭和3、40年代の景色を感じさせる民家や田園は、大いに心を癒してくれるものであった。
コースはこちら・・・
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=4c9621f1e8c9d019093547e09c0c993e
動画はこちら・・・
http://zoome.jp/nosanjin/diary/17/
野風増アウトドア塾のホームページ
http://www.wellworks.jp/nofu-zo/
童仙房・・・その名前を知ったのは随分前で、ようやく憧れの地を訪れることができた。その場所は、京都府の最南端、南山城村に位置する。明治の初年ごろ、廃藩置県によって行き場を失った士族(氏族)のために開拓が行われたという。136戸、500人近い人達が入植したとか。
先ずは伊賀国一ノ宮「敢国神社」を訪れる。諸国一ノ宮巡り・・・奈良時代、地方の国へ赴任した国守の最初の仕事は、一ノ宮から順番に参拝することであったとか。
佐那具・・・昔、ここは伊賀国の国府があったところで、かつては府中村といったそうだ。今、そこには府中神社が祀られていた。
伊賀国分寺・・・名阪国道、友生インター近くに国分寺跡があった。今では笹原となり、立派な石碑だけが建てられていた。
(童仙房 ないおん寺にて)
関西線佐那具駅の近くよりスタートする。桜の満開には早かったが、気持ちの良い春の田園風景の中を走り貫ける。上野市街には藤堂高虎が築城(結果、城は未完に終り、現在の天守閣は昭和の時代に造られたとか)したという上野城が小さく望まれた。
新居の辺りより山間へと入って行き、徐々に高度が上がってくる。「和銅の道」という碑が気になった。ゴルフ場を回り込んだ辺りで右折をし、中矢の集落より三国越林道へ入る。
この三国というのは、三重、京都、滋賀を言うらしい。今回の輪旅は、三県を走るプランでもあった。入り口より5キロあまりは延々とした上りで、久し振りの峠ツーリングに脚が悲鳴を上げた。眺望は最高、ぐんぐんと高度を上げ、伊賀盆地の風景が眼下に広がってゆくのが気持ちよい。
展望台となる東屋で一服とする。クルマはほとんど通らず、雄大な景色を独り占めしながら、パンをかじった。
三県境の展望台があるというピークを越え、童仙房へと下って行った。地形が複雑なため、アップダウンがしばらく続き、少し不安になる。通るクルマもなく、道を尋ねる相手もいない。
(多羅尾にて)
林間より初めての水田に出会ってほっとする。水田は里が近い証拠、ちょっと横着をして、デジカメの動画を撮影しながら先へと進んだ。やがて民家が現れ、期待通りの風景に出会えて満足をした。
着いたところは野殿の集落とあった。童仙房の中心地はもう少し先のようだ。さらに長閑な風景の中を走って、小学校のある場所へと出た。ここは5番という字名とか、開拓時、京都の府庁に近い順に番号が振られ、そのまま現在の字名になっているそうだ。
4番の大神宮、ないおん寺、童仙房山荘を訪れてみた。この辺りは、宇治茶の生産も盛んなようで、手入れの行き届いた茶畑が美しい。折り返し、小学校のところより左折して9番を目指す。
しばらくは山間を走るコースとなる。樹林の下が笹原なのが標高の高さを感じさせる。時より現れる別荘風の建物が???これが京都の軽井沢と云われるゆえんであろうか。
途中、高麗寺を訪れる。その装飾を施された本殿?は朝鮮辺りのものであろうか。デザインや色使いは日本的ではなかった。
最終の字名となる九番へ至る。偶然居合わせた方と立ち話をする。昭和28年8月、この辺りは未曾有の大洪水に襲われたそうだ。一帯は河原状態となり、10日間ほど牛を連れて裏山へ避難したという。その立派な大和造りの建物の柱は、その災害時に倒れた大木を運び出した物が使われているとのことであった。
(御斎峠にて)
小さな峠を越えて滋賀県の多羅尾へと出る。多羅尾といえばあの名探偵の多羅尾伴内・・・ではなく、甲賀武士である多羅尾氏の出生地。江戸時代に代々が代官を務めたという名家でもあったとか。代官所跡を訪れてみた。陣屋跡には、今も末裔が居住されているそうだ。
次に、訪れたのが御斎峠(おとき峠)。本能寺の変の時、堺にいた徳川家康は、反信長派の襲撃を恐れ、三河へ逃げ帰った時のルートでもあるという。「神君伊賀越え」多羅尾氏や服部半蔵、伊賀、甲賀忍者の手助けを受け、宇治田原郷ノ口、裏白峠、朝宮、小川、御斎峠を越えて音羽、加太峠、伊勢の白子浜へ向かい、船で伊勢湾を渡って岡崎城へ戻った(逃げ帰った?)という。
伊賀盆地の夜景が美しいという峠から一気に下り、さらに、諏訪、音羽、波敷野、馬場へと走る。このルートをあの家康公も通ったという。この道は、自転車にとっても最高のロケーションであった。伊賀の田舎風景が色濃く残っている。
阿山町馬場に出、ここで右折して佐那具を目指す。伊賀から甲賀辺りの風景は、とても魅力がある。距離的に大阪や名古屋の通勤圏とはならず、未だに昭和3、40年代の景色を感じさせる民家や田園は、大いに心を癒してくれるものであった。
コースはこちら・・・
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=4c9621f1e8c9d019093547e09c0c993e
動画はこちら・・・
http://zoome.jp/nosanjin/diary/17/
野風増アウトドア塾のホームページ
http://www.wellworks.jp/nofu-zo/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます