一昨日の続き
アカデミアってアカデミアをする人。つまり大学でどっぷり研究や論文書きに浸かっている人たちです。北米での大学ランキングは学習の環境、施設、そして幾つ論文がパブリッシュ(雑誌等に掲載される)されたかによります。教授や講師陣は年間に何本載せることができるか、どれだけ格の高い雑誌に載るかがとても重要です。そう言う意味で大学院で教授として生きて行くことはサメのタンクに住むことと同じ。食うか食われるかの世界だと聞いたことがあります。
北米で大学院に進むのはどういう看護師か?
私が通った院では4つのストリーム(課程)がありました。1)ナースプラクティショナー(NP)、2)リーダーシップ とポリシー、これは保険機構でマネージメントやディレクターそれ以上で看護界のみならず医療機関でリーダーシップ的な役割を目指す人やポリシーというぐらいだから政府や機関で政策や基準を作るような人たちに向いています。3) 看護教育。CNSや大学系で教師を目指す人など。4) 博士へ行くことを前提にアカデミアを目指す人。と言ってなりたいからなれるものではなく、そっち方面の教授陣を納得させる才能があり、選ばれないと博士課程には進めないですが。いや入れても卒業に時間がかかったり、卒業しても大学関係の職がなかったり。
2,3,4はコースが決まっているのではなく数ある単位教科の中で自分の最終 目標に見合った単位を個々が選ぶので、時間をかけて何年をかけて卒業する人もいます。その反対1は2年間、取得しなければならない単位も決まっていて15人同時期に入学すると2年間一緒に過ごし卒業するようになっていました。
私は初めの2年を3で過ごし、最後の2年を1で過ごしました。1は徹底したプライマリーケアを学ぶ臨床の知識が2年でぎゅーっと凝縮されていました。基礎科目として他のマスターのコース必須は、基礎看護学、統計学、 質的研究学の3つだけでした。それとは逆に2,3,4はどれも凄い量の論文読みから始まり、とにかくその内容を十分解釈した上で次へのステップのディスカッションを重ね、論文を書いて書いて書きまくる。それの繰り返しでした。データ検索、図書館などの資料集め論文の書き方も徹底的に学びました。ああ、今思い出しても吐きそうになる。
2,3,4はガン看護とか地域看護を学ぶのではなく、倫理や政治、公衆衛生などの視点から看護の事象を解析する形です。学生個々が自分の興味ある分野を、授業で学んだレンズを通して分析することができます。例えば私はホスピス緩和のCNSを目指していたのでそれを中心に学んだレンズで事象の見方を足していきました。一緒にクラスを取っていた中には未熟児、老人、集中治療室などそれぞれ。だから専門科的なノウハウを学ぶところではありません。しっかりしたビジョンがあると単位ごとのこの連続的な過程が繋がり最終的な強い卒業論文が構築されるようになります。
NPコースはどちらかと言うと診断にたどり着く思考課程の徹底と後は基礎知識の詰め込み。他のマスターのコースは前人が構築した論理から次のものを生み出す知能の拡大の可能性とでも言おうか、未知の世界への扉の開け方を学んでいるような感覚でした。
同じ看護の修士課程でもNPとそれ以外はで全く違う教育課程。日本もそうですか?
蛇足ですが最初の2年で教授に気に入られ、コース変更をした時悲しがられました。マスターの基礎があるからかNPコースに移ってからもパブリケーションを目標に論文書きをしていました。おかげで卒業時は賞もいただいたし、、、、しかし掲載には至らず、そのことはこちら。やはり臨床をしながら論文書きに没頭するのは難しかった。
緑の小道ならずゴミの道
続く。
アカデミアってアカデミアをする人。つまり大学でどっぷり研究や論文書きに浸かっている人たちです。北米での大学ランキングは学習の環境、施設、そして幾つ論文がパブリッシュ(雑誌等に掲載される)されたかによります。教授や講師陣は年間に何本載せることができるか、どれだけ格の高い雑誌に載るかがとても重要です。そう言う意味で大学院で教授として生きて行くことはサメのタンクに住むことと同じ。食うか食われるかの世界だと聞いたことがあります。
北米で大学院に進むのはどういう看護師か?
私が通った院では4つのストリーム(課程)がありました。1)ナースプラクティショナー(NP)、2)リーダーシップ とポリシー、これは保険機構でマネージメントやディレクターそれ以上で看護界のみならず医療機関でリーダーシップ的な役割を目指す人やポリシーというぐらいだから政府や機関で政策や基準を作るような人たちに向いています。3) 看護教育。CNSや大学系で教師を目指す人など。4) 博士へ行くことを前提にアカデミアを目指す人。と言ってなりたいからなれるものではなく、そっち方面の教授陣を納得させる才能があり、選ばれないと博士課程には進めないですが。いや入れても卒業に時間がかかったり、卒業しても大学関係の職がなかったり。
2,3,4はコースが決まっているのではなく数ある単位教科の中で自分の最終 目標に見合った単位を個々が選ぶので、時間をかけて何年をかけて卒業する人もいます。その反対1は2年間、取得しなければならない単位も決まっていて15人同時期に入学すると2年間一緒に過ごし卒業するようになっていました。
私は初めの2年を3で過ごし、最後の2年を1で過ごしました。1は徹底したプライマリーケアを学ぶ臨床の知識が2年でぎゅーっと凝縮されていました。基礎科目として他のマスターのコース必須は、基礎看護学、統計学、 質的研究学の3つだけでした。それとは逆に2,3,4はどれも凄い量の論文読みから始まり、とにかくその内容を十分解釈した上で次へのステップのディスカッションを重ね、論文を書いて書いて書きまくる。それの繰り返しでした。データ検索、図書館などの資料集め論文の書き方も徹底的に学びました。ああ、今思い出しても吐きそうになる。
2,3,4はガン看護とか地域看護を学ぶのではなく、倫理や政治、公衆衛生などの視点から看護の事象を解析する形です。学生個々が自分の興味ある分野を、授業で学んだレンズを通して分析することができます。例えば私はホスピス緩和のCNSを目指していたのでそれを中心に学んだレンズで事象の見方を足していきました。一緒にクラスを取っていた中には未熟児、老人、集中治療室などそれぞれ。だから専門科的なノウハウを学ぶところではありません。しっかりしたビジョンがあると単位ごとのこの連続的な過程が繋がり最終的な強い卒業論文が構築されるようになります。
NPコースはどちらかと言うと診断にたどり着く思考課程の徹底と後は基礎知識の詰め込み。他のマスターのコースは前人が構築した論理から次のものを生み出す知能の拡大の可能性とでも言おうか、未知の世界への扉の開け方を学んでいるような感覚でした。
同じ看護の修士課程でもNPとそれ以外はで全く違う教育課程。日本もそうですか?
蛇足ですが最初の2年で教授に気に入られ、コース変更をした時悲しがられました。マスターの基礎があるからかNPコースに移ってからもパブリケーションを目標に論文書きをしていました。おかげで卒業時は賞もいただいたし、、、、しかし掲載には至らず、そのことはこちら。やはり臨床をしながら論文書きに没頭するのは難しかった。
緑の小道ならずゴミの道
続く。