大阪府知事の橋下さんが、府内の市・町長との会合で泣いた。
テレビで見た時に、発言した市長や町長の不遜とも思われる傲慢な態度と発言にカチン
知事に向かって『あなたの考えを改めなさい!』とか『あなたねぇー』などと言う事自体失礼ではないか。
偉そうな態度。
この人たちは知事が中央官庁出身の大物知事だったら、こんな偉そうで傲慢な態度で、モノが言えただろうか
言えないだろうな。
橋下知事が自分達よりも歳下で、タレント出身だから上から見下ろすような態度をしたのだろう。
なにをこの若造が!という傲慢さに腹が立った
それにしても・・・あの場面で泣いたらダメだろう
各首長から、様々なことを言われ、批判されてよほど悔しかったのだろう。
財政再建しなければならないという決意がどうしても前面に出てしまい、結果あの悔し涙になったのだろう。
でも、泣いたらダメ
悔しくても、情けなくても、グッと堪えて強気な橋下でいなければならない。
リーダーってやはり孤独なんだろうな。
テレビのコメンテーターとして、明快に持論を述べていた時の顔と、府知事としての重責を担っている今の顔は全く違う。
机上の空論では行政は動かない事を、痛感しているのだろうか。
負けずに橋下カラーを出していって欲しい。
昨日(17日)の毎日新聞の静岡版に、補助犬を知ってもらおうというセミナーが開かれた事が掲載されていた。
記事の中では、『身体障害者補助犬法』が施行されて4年半経つが、いまだに補助犬が飲食店などの入店を拒否される例が多々ある事が挙げられていた。
その記事の中で、私がこれっておかしい!納得がいかない!と思った事がある。
記事をそのまま。
『補助犬と分かっても、ハーネスを付けた犬をペットのようになでたり、おやつをあげようとする人など、『道具としての犬』への理解はあまり広まっていない。』
私はこの記者の『道具としての犬』という言い方にとても違和感を覚えた。
補助犬は、使用者の目であり、足であり、手であり、耳である。
欠かすことのできないパートナー。
補助犬は、厳しい訓練を経て自分を必要とする障害者の為に、一生懸命に手助けをする。
それが、自分の役目・仕事だと思って。
補助犬は、『道具』では断じてない
静岡県の或る市で、盲導犬がトラックにはねられて死亡した。
目の見えない自分の主人を守って。
今、この事故を巡って裁判が開かれている。
事故を起こしたトラックの運転手は、盲導犬は車イスと同様にいわば道具である・・・という主張。
盲導犬の命は、車イスと同じ『道具』として扱われてしまうのか。
雨の日も、風の日も、夏の炎暑にも、冬の凍てつく日も、いつでも働いてきた介助犬たち。
私はどうしても、『道具』という認識には不快感と違和感を覚えてしまうのだ。
我が家にも愛しい(食いしん坊だが)miuがいる。
かけがえのない家族である。
だから私は、犬や動物を扱ったドラマや映画・記事にはどうしても感情移入してしまうのかもしれないが。
新聞記事を書いた記者は、言葉を扱う職業なのだからもっと敏感になって欲しい。
その程度の認識で『補助犬をもっと知って』などとは言えまい。
このバッグは、小田和正のオリジナル。これも小田さんのサイン入りのCDを貰ってくれた仲良しの男性からのプレゼント。
麻とコットン・レーヨン。斜め掛けにしてmiumiuのお散歩にルンルン
カジュアルでオシャレ度 中のグリーンとステッチも
☆ごめんなさい。ただ今コメント欄ははずさせて頂いています☆
テレビで見た時に、発言した市長や町長の不遜とも思われる傲慢な態度と発言にカチン
知事に向かって『あなたの考えを改めなさい!』とか『あなたねぇー』などと言う事自体失礼ではないか。
偉そうな態度。
この人たちは知事が中央官庁出身の大物知事だったら、こんな偉そうで傲慢な態度で、モノが言えただろうか
言えないだろうな。
橋下知事が自分達よりも歳下で、タレント出身だから上から見下ろすような態度をしたのだろう。
なにをこの若造が!という傲慢さに腹が立った
それにしても・・・あの場面で泣いたらダメだろう
各首長から、様々なことを言われ、批判されてよほど悔しかったのだろう。
財政再建しなければならないという決意がどうしても前面に出てしまい、結果あの悔し涙になったのだろう。
でも、泣いたらダメ
悔しくても、情けなくても、グッと堪えて強気な橋下でいなければならない。
リーダーってやはり孤独なんだろうな。
テレビのコメンテーターとして、明快に持論を述べていた時の顔と、府知事としての重責を担っている今の顔は全く違う。
机上の空論では行政は動かない事を、痛感しているのだろうか。
負けずに橋下カラーを出していって欲しい。
昨日(17日)の毎日新聞の静岡版に、補助犬を知ってもらおうというセミナーが開かれた事が掲載されていた。
記事の中では、『身体障害者補助犬法』が施行されて4年半経つが、いまだに補助犬が飲食店などの入店を拒否される例が多々ある事が挙げられていた。
その記事の中で、私がこれっておかしい!納得がいかない!と思った事がある。
記事をそのまま。
『補助犬と分かっても、ハーネスを付けた犬をペットのようになでたり、おやつをあげようとする人など、『道具としての犬』への理解はあまり広まっていない。』
私はこの記者の『道具としての犬』という言い方にとても違和感を覚えた。
補助犬は、使用者の目であり、足であり、手であり、耳である。
欠かすことのできないパートナー。
補助犬は、厳しい訓練を経て自分を必要とする障害者の為に、一生懸命に手助けをする。
それが、自分の役目・仕事だと思って。
補助犬は、『道具』では断じてない
静岡県の或る市で、盲導犬がトラックにはねられて死亡した。
目の見えない自分の主人を守って。
今、この事故を巡って裁判が開かれている。
事故を起こしたトラックの運転手は、盲導犬は車イスと同様にいわば道具である・・・という主張。
盲導犬の命は、車イスと同じ『道具』として扱われてしまうのか。
雨の日も、風の日も、夏の炎暑にも、冬の凍てつく日も、いつでも働いてきた介助犬たち。
私はどうしても、『道具』という認識には不快感と違和感を覚えてしまうのだ。
我が家にも愛しい(食いしん坊だが)miuがいる。
かけがえのない家族である。
だから私は、犬や動物を扱ったドラマや映画・記事にはどうしても感情移入してしまうのかもしれないが。
新聞記事を書いた記者は、言葉を扱う職業なのだからもっと敏感になって欲しい。
その程度の認識で『補助犬をもっと知って』などとは言えまい。
このバッグは、小田和正のオリジナル。これも小田さんのサイン入りのCDを貰ってくれた仲良しの男性からのプレゼント。
麻とコットン・レーヨン。斜め掛けにしてmiumiuのお散歩にルンルン
カジュアルでオシャレ度 中のグリーンとステッチも
☆ごめんなさい。ただ今コメント欄ははずさせて頂いています☆