miyabuの雑記帳

ボケ老人の無責任なお話

政治と南京事件

2012-03-20 | Weblog
河村市長の不要意な発言で、南京事件がむしかえされ、あちこちで、話題になっていますが、政治の、駆け引きに使われている事件の真相は、単純な物ではありません。きょうの朝日新聞のボイス欄に、5歳の頃、写真を見せられ、伯父の話をじかに聞いたので間違いないと言う投書がありました。当時は、このような嘘の自慢話が、あちらでも、こちらでもありました。

南京攻略

昭和12年12月13日、日本軍は南京城を開放し、市内に入りました。日本軍の接近により、南京市民は、恐慌状態に陥り、親日的中国人や、日本人留学生を「漢奸狩」と称して、殺害する事件が相次ぎました。写真は、漢奸狩の宣伝ポスターです。 このようなポスターが、市内のあちこちに貼られ、親日中国人や日本人が殺害されたのです。

この戦闘によって、8万人ほどの中国軍人が死亡し、また市民の中に、便衣兵という、ゲリラ兵が沢山いました。この便衣兵の死亡が3万人程度と、推計されています。一見市民のようですが、戦闘要員ですから、便衣兵の殺害は、虐殺にはなりません。投稿者の見た、円形の大きな穴の死体と言うのは、これらの戦闘要員の埋葬写真だろうと推測します。

当時の軍部に、「人を殺した経験が無ければ、一人前の軍人ではない」。と言う歪んだ、英雄主義があったことは事実で、人を殺したことの無い、人に限って、嘘の自慢話を広めたものです。南京侵攻にあたり、正規の軍人が不足し、予備役や、後備役の戦線投入で、兵士の質が低下しており、便衣兵に対する、極度の恐怖から、無益な虐殺に近い殺害が、一部にあったのも事実のようです。しかし日本軍の医療班は、負傷した中国兵や、避難民の看病をよく見ていたのも事実です。写真は野戦病院での看病風景。 

暑さ寒さも彼岸まで

2012-03-20 | Weblog
春になれば、氷(しが)こも解けて、どじょこだの、ふなっこだの・・・穏やかで、暖かい彼岸の中日です。お墓参りには最高の日和になりました。震災、津波、原発の羅災者の皆さんには、ひと際、寒の緩みが待ち遠しいこのごろですが、花の季節もそこまで近づいてきました。

復興特需の影響か、全般的に、企業に活気が出てきたような感じを受けます。円高も徐々に解消され、株価もぐんぐん上昇しています。建築用の鉄筋資材をを造っている、友人の会社も、かってない多忙をきわめ、嬉しい悲鳴を上げています。日銀のデフレ脱却政策への転換も大きな要因になっているのでしょう。

小沢一郎先生の裁判も、最終結審で、勝訴の方向が見えてきました。検察庁には、いろいろ問題がありそうです。司法が変な権力を握ってしまえば、暗闇の世界に入ります。戦時中の特高を思うだけで、総毛だちます。