河村市長の不要意な発言で、南京事件がむしかえされ、あちこちで、話題になっていますが、政治の、駆け引きに使われている事件の真相は、単純な物ではありません。きょうの朝日新聞のボイス欄に、5歳の頃、写真を見せられ、伯父の話をじかに聞いたので間違いないと言う投書がありました。当時は、このような嘘の自慢話が、あちらでも、こちらでもありました。
南京攻略
昭和12年12月13日、日本軍は南京城を開放し、市内に入りました。日本軍の接近により、南京市民は、恐慌状態に陥り、親日的中国人や、日本人留学生を「漢奸狩」と称して、殺害する事件が相次ぎました。写真は、漢奸狩の宣伝ポスターです。 このようなポスターが、市内のあちこちに貼られ、親日中国人や日本人が殺害されたのです。
この戦闘によって、8万人ほどの中国軍人が死亡し、また市民の中に、便衣兵という、ゲリラ兵が沢山いました。この便衣兵の死亡が3万人程度と、推計されています。一見市民のようですが、戦闘要員ですから、便衣兵の殺害は、虐殺にはなりません。投稿者の見た、円形の大きな穴の死体と言うのは、これらの戦闘要員の埋葬写真だろうと推測します。
当時の軍部に、「人を殺した経験が無ければ、一人前の軍人ではない」。と言う歪んだ、英雄主義があったことは事実で、人を殺したことの無い、人に限って、嘘の自慢話を広めたものです。南京侵攻にあたり、正規の軍人が不足し、予備役や、後備役の戦線投入で、兵士の質が低下しており、便衣兵に対する、極度の恐怖から、無益な虐殺に近い殺害が、一部にあったのも事実のようです。しかし日本軍の医療班は、負傷した中国兵や、避難民の看病をよく見ていたのも事実です。写真は野戦病院での看病風景。
南京攻略
昭和12年12月13日、日本軍は南京城を開放し、市内に入りました。日本軍の接近により、南京市民は、恐慌状態に陥り、親日的中国人や、日本人留学生を「漢奸狩」と称して、殺害する事件が相次ぎました。写真は、漢奸狩の宣伝ポスターです。 このようなポスターが、市内のあちこちに貼られ、親日中国人や日本人が殺害されたのです。
この戦闘によって、8万人ほどの中国軍人が死亡し、また市民の中に、便衣兵という、ゲリラ兵が沢山いました。この便衣兵の死亡が3万人程度と、推計されています。一見市民のようですが、戦闘要員ですから、便衣兵の殺害は、虐殺にはなりません。投稿者の見た、円形の大きな穴の死体と言うのは、これらの戦闘要員の埋葬写真だろうと推測します。
当時の軍部に、「人を殺した経験が無ければ、一人前の軍人ではない」。と言う歪んだ、英雄主義があったことは事実で、人を殺したことの無い、人に限って、嘘の自慢話を広めたものです。南京侵攻にあたり、正規の軍人が不足し、予備役や、後備役の戦線投入で、兵士の質が低下しており、便衣兵に対する、極度の恐怖から、無益な虐殺に近い殺害が、一部にあったのも事実のようです。しかし日本軍の医療班は、負傷した中国兵や、避難民の看病をよく見ていたのも事実です。写真は野戦病院での看病風景。