御報恩お会式法要に行ってきた。
日蓮宗の本山身延山にある清水坊まで。
昨年も参加し、とてもご利益・有難さが伝わって
絶対 毎年参加しよう決めていた。
コロナの影響で今年は15:30~17:00まで。
5分前には、参列檀信徒昇堂し始まった。
先・入堂
次・道場偈 (どうじょうげ)
次・勧請 (かんじょう)
次・開経偈 (かいきょうげ)
次・方便品第二(ほうべんぽんだいに)
次・咒讃鏡鉢 (しゅさんにょうはち)
次・御宝前法楽(ごほうぜんほうらく)
次・報告文 (ほうこくもん)
次・如来寿量品第十六 (にょらいじゅりょうほんだいじゅうろく)
次・祖訓 上野殿御返事 (そくん うえのどのごへんじ)
次・唱題 (しょうだい)
次・回向 (えこう)
次・咒陀羅 (しゅだら)
次・大衆法楽 (たいしゅうほうらく)
次・祈願 (きがん)
次・四弘誓願 (しぐせいがん)
次・奉送 (ぶそう)
次・退堂 (たいどう)
終・日像上人廟参拝 (にちぞうしょうにんびょうさんぱい)
大衆法楽は、邪気を除き、心身の安穏を促す加持なので
私達は合唱し頭を垂れて受けたが、私はありがたくって
涙が流れてきた。
痛かった腰や肩が楽になったような気がしてきたから
不思議だわ。
明かりが灯され幻想的でもあった。
お檀家様が毎年準備してくださるとか。
まあ このような次第でした。
日蓮宗以外の方は興味なしでしょうね。
ごめんなさいね。
備忘録 として残しておきます・・・悪しからず。
愚息たちはクリスチャンの学校出身で洗礼も
受けているんで、我が家の末はどうなるのかしら??
私達は困ったとき・苦しい時・・辛い時は思わず手を
合わせお祈りしますでしょう??
お参りされ、心が豊かに静まりましたことでしょう。いろいろな法会にお元気でこれからも足を運ばれますように。寒くなるこれからも、お身体、ご自愛くださいませ。
こちらは、おかげさまで、孫たちの七五三が出来ました。
心のよりどころになります。
私は、おばさんほど熱心ではありませんが
神仏に手を合わせることが、とっても精神的に落ち着きます。
世界中では、宗教の違いによって戦争まで起きています。
寂しい話ですよね。
何の宗教であれ、根っこは一緒だと思うのですが・・・
知り合いの女性は毎月!群馬から身延山までお参りに行ってます。70代半ばで「車の運転で疲れない?」
と聞きますが、以前は日帰りだったけど、年を取ったので最近は宿坊に泊まるとか。いつか私も一緒に
行ってみたいもんです。
源氏物語にでてくる法会とはこのようなものだったのでしょうか
紫の上の法会は見事であったとあります
仏事に通していないとこのような 法会を催すことはできないのでしょうねえ
おじちょんのおじいちゃんが熱心な信者さんだったそうで おうちにたずね時に法華経をあげてくれました
厳粛そうで、ブログからもひしひしと伝わってきます。
この順番を覚えていることも信心の深さでしょう!
見習わなくてはなりませんね。
勉強になりました。
どちらの家もおばさん様宅のように熱心な信者とは
言い難く、形だけは。。。って言ったところでしょうか。 私はご子息さまのように洗礼を受けるほどでは
全く、ありませんけれど、多感な時代をキリスト教系の学校で過ごしましたから、その教えの方が身近で、
賛美歌を口ずさむことで心が穏やかになる
こともありますね。
全てにおいて全力で己の力を信じ動きます。
その時にこそ、神はお力をお貸し下さると信じています。
時には地獄の業火の中で、時には無理と思われる運命に立ち向かう時に。
その時に、私は幾度となく神の力に助けられてきました。
お母さんは普段より、良い行いを続け、そして素晴らしい法要に
身を置き、清められ、心を解放されて来られてますよね。
幾度かの挫折に負けず、運命を超える事を体感して来た息子は、
奇跡を待つより起こす努力を続け、再び職を得ました^^
24日から、市役所が募集した「放課後児童クラブ(学童保育)」
の指導員、面接試験に合格し、採用され、勤務につく事となりました♪
御心配おかけしました。
富士宮の先生宅も、嫁さんの実家も日蓮宗です。
先生は、檀家の役員をされていて、大石寺へは頻繁に行かれているようです。
奥様のお葬式には、お坊さんが30人も集まったと聞きました。
お布施、どのくらいだったのだろう?
寺は、地域住民の生活の要のようなところがありますね。
住職の説法は、勉強になるだけでなく面白く励まされる事があります。
清々しい空気が伝わりました。
難しい言葉ばかりで理解はできませんが、良心を鍛える場所の必要性をいつも感じています。
おばさんのパワーの源なのですね
悩み事があったりすると、私はお題目を
お唱えして、心静かに時間を過ごすことがあります。手を合わせると、穏やかな気持ちになれます。
お孫さん おめでとうございますね。
後ほど伺います。