曇りから晴れ。23-14℃

中々、塩害というものは侮れないもので、
朝、ファイジョアの実が一斉に落ちていた。
スカスカに軽く、今年は生育も悪い…。


猫達は温かいところを求めて移動している。
(まだ、鳥も猫も暖房をしていない。)





みーみーボーはベットの使い方が間違っており、一日何回か形を整えて(戻して)やる。

やいやいは低空飛行で、

死にそうだったのだが、少し肉がついてきた。
餌を食べさせるのが一仕事である。
私は朝晩、練習をしており、

近頃は、空とバイオリンのブログになってしまった…。
朝は身体がこわばっている、
夜の方が調子が出るが、防音室もないので昼が中心、
時折、窓から景色を見上げている。
窓から見える世界が、今では私の全世界のように思える。
ビクトリア時代の女性の様に変化がない。
それでも、空はダイナミックに変化を遂げ、しばし目を楽しませてくれる、



体のあちこちが痛いが、私自身は弾くのは楽しい、
今迄のやらなかった後悔を、憧れを、全てこめている。
この前のコンサートで、大人で始めた人に質問すると、
「やらなかったら死ぬ時に後悔する」という、
私と同じ考えの答えが返ってきた。

ただ、これが何になるのだというと、何もならないわけです。
私の色々ある嫌な思いや、悩みを軽減してくれる以外は。
そして、無謀な事であっても、
やはり難易度の高い楽器に挑戦していることで、生きる闘志が出てくる。
簡単じゃないからこそ、チャレンジのし甲斐があるというか。
ただし、習得には時間がとられるので、
やはり空とバイオリンの日常しか書けない。
それでも良いと思われた方は訪問してくださいm(_ _"m)
日が落ちて、十五夜が綺麗だ。

この前仲良く並んでいた金星。

いずれにせよ、惑星というものはなんて美しいものなのだろうと思う。
たとえ、それが住めない死の世界であれ、人の営む夜景より綺麗だ。
そして、人の住める青い地球はどんなに貴重かと思う。
(人が破滅に向かわせているのも皮肉である。)
振り向けば、
私のいつも一日中練習している部屋の窓。


人の好みや、価値観はそれぞれだろうが、
仕事で疲れて暗い夜道を歩いていた時に、
ふっと、子供のピアノの音に和まされた時があった…。
犬を飼っていた時は、夕暮れの散歩に、
どこかの家の子供のピアノの練習に、ふと、立ち止まって聞き惚れたこともあった…。
そして、自分自身は演奏を諦めていた。
音は日々改善されていると思う(思いたいw)、
今度は暗い夜道を照らす街頭程度に、
漏れてしまう私の音が雑音でなく、
「音楽っていいな!」って思う程度に聴こえれば、
それがおそらく、私の幸いである。
なんでもない存在、
それが私達、
過去と現在と未来も、
変わることなく、咲かせましょう
虚無の薔薇、誰のものでもない
無名人(むなびと)の薔薇を。
パウル・ツェラン

中々、塩害というものは侮れないもので、
朝、ファイジョアの実が一斉に落ちていた。
スカスカに軽く、今年は生育も悪い…。


猫達は温かいところを求めて移動している。
(まだ、鳥も猫も暖房をしていない。)





みーみーボーはベットの使い方が間違っており、一日何回か形を整えて(戻して)やる。

やいやいは低空飛行で、

死にそうだったのだが、少し肉がついてきた。
餌を食べさせるのが一仕事である。
私は朝晩、練習をしており、

近頃は、空とバイオリンのブログになってしまった…。
朝は身体がこわばっている、
夜の方が調子が出るが、防音室もないので昼が中心、
時折、窓から景色を見上げている。
窓から見える世界が、今では私の全世界のように思える。
ビクトリア時代の女性の様に変化がない。
それでも、空はダイナミックに変化を遂げ、しばし目を楽しませてくれる、



体のあちこちが痛いが、私自身は弾くのは楽しい、
今迄のやらなかった後悔を、憧れを、全てこめている。
この前のコンサートで、大人で始めた人に質問すると、
「やらなかったら死ぬ時に後悔する」という、
私と同じ考えの答えが返ってきた。

ただ、これが何になるのだというと、何もならないわけです。
私の色々ある嫌な思いや、悩みを軽減してくれる以外は。
そして、無謀な事であっても、
やはり難易度の高い楽器に挑戦していることで、生きる闘志が出てくる。
簡単じゃないからこそ、チャレンジのし甲斐があるというか。
ただし、習得には時間がとられるので、
やはり空とバイオリンの日常しか書けない。
それでも良いと思われた方は訪問してくださいm(_ _"m)
日が落ちて、十五夜が綺麗だ。

この前仲良く並んでいた金星。

いずれにせよ、惑星というものはなんて美しいものなのだろうと思う。
たとえ、それが住めない死の世界であれ、人の営む夜景より綺麗だ。
そして、人の住める青い地球はどんなに貴重かと思う。
(人が破滅に向かわせているのも皮肉である。)
振り向けば、
私のいつも一日中練習している部屋の窓。


人の好みや、価値観はそれぞれだろうが、
仕事で疲れて暗い夜道を歩いていた時に、
ふっと、子供のピアノの音に和まされた時があった…。
犬を飼っていた時は、夕暮れの散歩に、
どこかの家の子供のピアノの練習に、ふと、立ち止まって聞き惚れたこともあった…。
そして、自分自身は演奏を諦めていた。
音は日々改善されていると思う(思いたいw)、
今度は暗い夜道を照らす街頭程度に、
漏れてしまう私の音が雑音でなく、
「音楽っていいな!」って思う程度に聴こえれば、
それがおそらく、私の幸いである。
なんでもない存在、
それが私達、
過去と現在と未来も、
変わることなく、咲かせましょう
虚無の薔薇、誰のものでもない
無名人(むなびと)の薔薇を。
パウル・ツェラン