移動自粛要請中の今じゃなくて
近年、高速道路や 新幹線などを利用して軽井沢を訪れる人にとっては
多少、山坂があろうと 火山性の地層も影響する土壌だろうと あまり目に見えて影響は無く
さしずめ 耳にはイヤホン
ほとんど窓の外に目をやることも無くスマホの画面をいじっているうちに
「 到着 !!」ってところかな・・
ハンドルを握るドライバーにしても 100km近い速度で運転中には 遠景はそれなりに感じても
前後や並走する車線の車の動きから気をそらすのは危険で 一瞬の記憶くらいな視覚だろうね
高速移動なんて 夢のまた夢だった、どこへ行くにも徒歩かせいぜい 馬くらいだった大昔にも
日本の中をいろいろな必要があって移動(旅)する人がいて その通行した道がはるかな昔から
軽井沢を通り抜けていたらしいと ここでも何度かお話したことがあったよね
1番古いのは 今から1500年くらい前の 「 律令以前 」という話もあるそうだよ
多分その頃は 道と行っても しっかり整えられているわけではなく
高い所などから 通りやすそうなところを見定めたりしながら 行きたい方向に向かって
ひたすら歩き続けるものだったに違いない
「 人が歩くからそこが道になる・・」 って状況で さぞかし大変だっただろう
長野県側の軽井沢のどれかの峠から そんな道のいくつかが 群馬県側に向かっていたと
言い伝えや 研究者の話が有るそうで 観光だけでなくその方面の興味で訪れる人もいる
軽井沢に別荘が増え始め 「 避暑客 」が増えてくると
その滞在者の為の
食材や日常品が必要になり
高冷涼地の軽井沢よりはずっと温かい季節の訪れが早い群馬県側からは 物流が整うまで
山道や峠を越えてそんな必需品がもたらされ 別荘客やの料理人を喜ばせていたそうだ
そんな荷物を運んで来る人は 当時庶民にとっては高額だった 汽車や自動車の利用を控えて
農産物を背や肩に 歩いて往来する農家の人も多かったらしい
そんなお家の70代くらいまでの人たちは つい最近まで、そんな古い小径を記憶していて
久しぶりに行ってみたけれど ***の所 から先は もう判らなくなっていた
なんて 話すのを聞いた
農業生産方法の進化や 物流の発展、何より交通網の発展で人が通らなくなったからだ
そんな道の中に 大昔の、都から東(北)へ向かう最初の公道 「 東山道 」や
その道の基になったと言われる 通称「 古東山道 」と言われる道もあったらしい
その古道と思しきあたりに ここ数年の間にいくつもの砂防ダムが築かれて
道のあった斜面は削られ 近頃では 道跡が判らなくなるどころか 景色まで変わった
タイムカプセルで 大昔に行けても 迷子になるだろうね
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