一昨日だったかここで しなの鉄道信濃追分駅舎改札左側 ホームに面した一角に
「 暮しの手帳 別冊 あたらさん」(現在は休刊)の 編集室が設置されていて
駅舎の屋根の下でこの雑誌が編集されていたお話をした
今月になってだったか ふと気づくと あったはずの看板が無くなり森閑とした無人の気配
どうしたのか気になって、ここで 誰か知りませんか・・? と聞いたんだ
なんと 次の日に ボクの 「 WANTED !」を見て 連絡してくれた人がいたそうで
当のご本人 編集長さんが直接 ボクに連絡してくれたんだ
みなさんに お話ししていいと言われたので 全文をご紹介するね
まず その お手紙
編集室のことを気にかけて下さっている方が!と友人から。
ブログでの記載ありがとうございました。とても嬉しい知らせでした。
透き間風の吹く木造駅舎を借りて住むとは、なんて酔狂な夫婦と驚かれつつ、15年経ちました。
コロナ禍でもあり、そっと編集室を閉める予定でしたが、日本鉄道保存協会の後押しもあり
25日の日曜日にさよならイベントを開催することになりました。
よろしかったら、是非、お立ち寄り下さい(原文のまま)
そのイベントというのは これなんだそうで
信濃追分駅舎は地域の宝箱!
お言葉に甘えて、10月25日の駅舎イベントの概要をご案内させて頂きます。
日時:10月25日(日)10時〜16時
場所:信濃追分駅舎編集室及びトイレ脇・多目的室
内容:編集室会場
1)作品展示 写真家・真島満秀 画家・りんどう林蔵
2)追分会会員のミニトーク「私と追分駅」
11時30分〜 平賀三郎氏(著述家)
14時〜 渡辺雅司氏(ロシア文学者)
多目的室会場(写真展示は29日まで)
信濃追分駅・写真展(写真家・杉崎行恭)
★珈琲ボランティアによる淹れ立て「森のコーヒー」のサービス(11時〜14時)や
写真家・杉崎氏によるお宝箱案内(随時)など。 (以上 原文のまま)
こんな イベントがご覧の通り 10月25日(日) 開催予定だとお知らせ頂いた
ボクは お手紙の最初にも書いてある通り
「 透き間風の吹く木造駅舎を借りて住むとは
なんて酔狂な夫婦と驚かれつつ 15年経ちました・・ 」 とか
「 コロナ禍でもあり、そっと編集室を閉める予定でした 」って 文中コメントが
これまでの歳月に 駅舎内外にそっと続けていたはずの心遣いや
花壇やホームの植栽の手入れを繰り返していた様子なんかも耳にしていて
なるべくたくさんの人が 編集長さんの顔を見たり、ひと言声を掛けたり
手を振ったり 「 そっと閉めない 」 様に できたらいいなって 思ったんだ
みなさん 暇でも忙しくても 晴れでも雨でも
ちょっとこの日は信濃追分駅舎をのぞきに来てよ
くれぐれも 体調、コンディションの確認と マスク着用!
ソーシャルディスタンスは守ってね !
しかし、見ている人がいるんだな
そして返信を
軽井沢町の住民は2万人前後かな
15年か
追分は無人駅
前に追分駅を訪れた際に駅舎の中に、無人駅だが人がいた
なんとか木、櫻だったか、保存していると
声を掛けようと思ったが、威厳があるんだな
声をかけるのを躊躇う雰囲気が感じられた
後で知人から聞いたが、花森安治の関係者だとか
返信の文は無駄がない
どうも小生はしっかりした話は出来ないが、無駄話が多いんだな
コメントもそうだな
もっとも、コメント自体無駄かも知れないが
しかし、見ている人がいることは、見られていることもあるんだな
軽井沢町に関わらず、流れ者は常に見られていることもあるか
佐久病院の若月俊一は臼田の地で良く続いたな
あの臼田の地で、酒病院を
それだけでも大した者だ
佐久市のかっての官庁街に何とか楼という蕎麦屋があった。司馬遼太郎の街道を行くを掲げてあった。かみさんは愛想が無い。親父は陽気なんだな
戦後かな戦前かな
浅草の出で、かみさんの故郷に来たが、50年経っても余所者だと
キタピッポか
発地では10年経って、ようやく近所付き合いが出来たと
多分、入会権があるんだろうな
イノちゃんの手の温もりは良かったな
出来得る限り無駄話は避けようとかな
まあ、性分は直らないか
形容するなら赤い酒病院だと
返信しておきました
イノちゃんは酒病院を知らなんだか
佐久の人ではないな
若月俊一とは会いたかったな
息子の嫁は良くできた人とか
知り合いが追分で一緒にダンスをしたと
興じたと