テレビなどの訃報NEWSで 元警察庁幹部の逝去が伝えられたね・・
昭和47年の早春 軽井沢へ厳寒の峠を群馬県側から超えて来た
連合赤軍と名乗る集団の5名が
企業保養所 の山荘に 管理人さんを人質にして立てこもり
警察と銃撃戦を含む 前代未聞の事件となった
水と安全はタダ どころでなく リゾート・シーズンが終われば
不在別荘を狙った 空き巣事件ぐらいしか発生しなかった時代で
氷点下も二桁を記録する時期の雪もある山中を 徒歩で越えて 銃を持った過激派集団が
転がり込んで来るなどとは青天の霹靂で 町内、県内どころでなく日本中、世界中の耳目を集めた
1972年2月19日から2 月28日の解決まで 10日間も籠城して 警備側など3名の死者を出し
大きな鉄球で 山荘を破壊しながら人質を救出 決死覚悟とも伝えられた犯人を逮捕したというすさまじい事件だった
今でも 殉職警察官や関係者の慰霊と事件の記憶をとどめた記念碑が
軽井沢の南軽井沢地域
レイクタウンに向かう路傍に設けられて 毎年慰霊祭が行われていると 前にここで お話したけれど
その 事件解決の最終指揮を執ったひとりと伝えられるのが 今回の訃報の故人だ
既に発生から46年 当時は 寡黙な強面の警察庁幹部という印象だったけれど
後に職を離れると 危機管理などの特集のテレビ番組のゲストコメンテイターなどで柔和な一面ものぞかせていた
テロ事件や 思わぬ事件発生が懸念される世相だけれど 軽井沢の森からも ご冥福をお祈りします
あれは、テレビ中継して全国に電波が流れた
連合赤軍と国家権力の戦いだな
映像を通しての戦いだな
見る者は傍観者、外野だな
湾岸戦争も映像を通して流れた
プロスポ-ツのように、観客は見るだけ
映像を見るだけだな
戦いなら、ゲ-ムならに拮抗した方が面白い
60年安保にしても、70年安保にしても
そこには、大衆の人民の参加があった
しかし、あさま山荘事件は、事件と命名されたように事件なんだな
土台、反権力側が武器をもって、国家権力に戦いを挑んだことはなかった
しかし、あさま山荘では、武器をもって立ち向かったな
それは、大衆をも巻き込んだがが・・・・・
重信房子はどうなったか分からない
ほんの数十年前だが分からない