今日から いよいよ8月 軽井沢の真夏だ~~~
みなさん 新型コロナ感染防止の影響で 夏休みはどんな予定ですか?
ところで 先月7月中のこと
軽井沢でも購読者の多い 長野県内の主要紙 信濃毎日新聞紙上に 80代の女性から
その女性がこどもだった頃 その女性のお母さんが 鼻歌に口ずさんでいたという
数え歌(かぞえうた)の歌詞が 知りたくなったっていう投稿が載っていたんだ
ひとつ*** ふたつ*** って感じに唄っていく あれだけれど
その女性が 知りたいのは軽井沢から江戸時代の中山道(現在の佐久市方面に向かう県道)を
30~40kmくらい西へ向かったあたり その女性のお母さんが暮らしていた頃は
本牧村(もとまきむら) と言われるあたりだそうな
今朝 ボクの森の下に住む仲良しの奥さんと会えたから こどもか孫くらいの年代だけれど
もしかして 知っているか聞いてみた
ボランティア活動もする 奥さんは 知っていて 紙に書いて教えてくれた
~
1番はじめは 一の宮
2 また 日光中禅寺
3 また 佐倉の惣五郎
4(し) また信濃の善光寺
5つは 出雲の大社(おおやしろ)
6つ 村々鎮守様
7つは 成田の不動さん
8つ 八幡(やわた)の 八幡(はちまん)さん
9つ 高野(こうや)の 弘法(こうぼう)さん
10で 東京博覧会
ウィキペディアの解説では 歌詞がところどころ異なっていて以下のコメントがあります
一番初めの一の宮、八つ大和の東大寺/法隆寺、十で所の氏神さん/東京泉岳寺/東京本願寺など様々なバリエーションが地域ごとに見られる。また、年代によって歌詞が変わる場合もある
とあるように 見聞きし 愛唱した人の住む地域、年代、また当時の日本の情勢などによって
数える対象が この ボクの仲良しの奥さんがお年寄りのお楽しみ会のボランティアをした時に
聞き覚えて来たこの歌詞の様に
神社仏閣の最後に東京博覧会が出て来ちゃったりするらしい
質問者さんの年齢から考えると 1928年の「 東京博覧会 」前後に
その女性のお母さんが歌っていたのかな?
もう 誰かが 質問していた人に 教えてあげたんだろうか?
みなさんの周りにも こんな 誰かの思い出につながるステキなお話 ありませんか
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