今日の夜の部は国性爺合戦。
ほとんど初めて観る演目でした。
全部で五段あるのですが、今回は一~三段が出ています。
エキゾチックな風俗を取り入れ、日本と中国(明)にわたるスケールの大きな物語。
鎖国していたということでもあり、初演時(1715年)、17ヶ月ものロングランを記録。
国性爺こと鄭成功は実在の人物。
父は明から日本に亡命、母は九州平戸の人。
このモデルを得て近松は自由奔放に物語を構成しています。
主人公の名は和藤内(わとうない)、日本(和)でも中国(唐)でも無い→和唐無い→和藤内らしいです。
和籐内は両親とともに明の再興のために中国に渡り、甘輝将軍と協力して勇ましく戦います。
甘輝の妻錦祥女は和籐内の父の娘で、和籐内の母は継母です。
明の敵韃靼国の武将である甘輝を見方にするべく、 錦祥女とその継母は自分たちの命を投げ出し、
甘輝きはそれによって和籐内の家来となる、そういう話です。
スタンプにあった「千里が竹虎狩りの段」。
文楽の舞台って、一番客席側に手摺があって、その後ろに船底といって、舞台より低くなった部分があります。
→伝統芸能の今を知る
この段ではその手摺と船底が無く、人形遣いの足までしっかり見えていました。
あと、虎が着ぐるみなんですよね。
てっきり義経千本桜の狐のように、虎の人形を人形遣いが遣うんだと思っていました。
虎が暴れて出語り床まで逃げて、 その時の大夫三輪大夫さんに扇で頭を叩かれていました。
30分の休憩に入ると、出演者の新春の挨拶と手ぬぐい撒き。
後ろのほうの席しか取れなかったので、手ぬぐいは届かず。
橋下問題が出る前までは、文楽公演はがらがらで、けっこう前の席を取れていたので、
毎年ゲットできていましたが。
でも、考えるともらえた手ぬぐい、どこにあるか分かりません・・・
今回のプログラムと友の会会報。
プログラムの表紙は和籐内の着物「黒天鵞縄繍平袖大寸着付」。
劇場にあったちらし。
四月の文楽公演は通し狂言「妹背山婦女庭訓」です。
舞台となる妹山、背山は実家から車で1時間ちょっと。
電車で行くなら、近鉄吉野線で吉野神宮駅で下車、徒歩20分くらいです。
途中水分神社や平宗本店で柿の葉ずしを食べるのんもええですよ。
そして、6月の文楽鑑賞教室は「二人三番叟」と「夏祭浪花鑑」。
夏祭~の主人公は団七。
でも団七のかしらは「団七(だんひち)」ではなくって「文七(ぶんひち)」なんですよね。
団七の着ているこの柿色の講師柄は団七格子。
さて、芝居が終わって帰ります。
夜の文楽劇場。