「私の意味のない思いは、意味のない世界を私に見せます」
見て思う、のではなく、思いが見せてる。だからといって、恐怖を
否定するため無謀を受け容れないといけないのか、と更に間違う私を
止められません。
体操教室通いたい娘に、満員だと言ったら、今度は、体操の先生に
なると。体操選手からの、体操教室からの、体操の先生。。これが
だめならこれ、とあまりにシンプルで気が狂いそうです。
子供のピュアを大切に思うからこそ、真に受け、付いていけずに
疲弊しています。
体操教室(+アトピー)が頭をよぎるたびに恐怖してしまう。まさに、
「意味のない思いが意味のない世界を見せています」が、なかなか
この思考から離れられません。