砂漠の朝

大人になれない人の育児日記。
奇跡講座ワークブックを実践中。

ベートーベンとシューベルト

2024-10-07 04:42:43 | ピアノ練習
練習日記。

ツェルニー50番
No.39 初見 楽しい…これがマックスだろうな
No.42 へたに練習した仲間。ゆっくり弾いても間違う
No.43 弾けないからいや
No.44 No.42と同様に、譜読みラクそう、で始めたらむずい
No.45 親指が不甲斐ないので小指のメロディをレガートに弾けずペダルに頼
りがち。テンポが遅すぎて違う曲になってる。これ以上に何をすれば練習にな
る?
No.46 左手のトリルを下手に練習し過ぎてもはや何をやっても弾けない。
でもラスト弾いてて気持ち良い!チャップリン(サイレント)の映画の曲ぽ
い。
No.49 運動会の曲。数ヶ月前まで全く弾けなかったが、親指の打鍵が
うまくいくようになってからびっくりするくらい弾ける。間違うは
間違うけど(間違うんかいっ)曲になってる。
No.50 いつもゆっくり練習

ベートーベンソナタ Band2からいろいろ
No.12の4楽章
No.13の1楽章のアレグロから最後まで。
No.16の1楽章 好きだったな~。今もちょっと好きだが、これも下手の練習
し過ぎで弾けないグループ。
No.17の1楽章 『テンペスト』 お願い、一生弾かせてて。
No.18の1楽章 『狩』 なんという楽しさ
No.23の1楽章 『熱情』

シューベルトの即興曲op.142の2
終盤、ゲームに使われてそう。勇敢な感じが。
ベートーベン氏のソナタ『ワルトシュタイン』の3楽章に似たような部分が
ある。真似オマージュかな

モーツァルトさすがに飽きてて、こちらも下手に練習し過ぎで
もはや後戻り出来ず。その代わりハイドンソナタに夢中です。
イリア氏のハイドンを聴いてからパパ・ハイドンしか勝たん!
となっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メゾピアノ

2024-10-07 04:11:57 | ピアノ練習
日曜日、アパートの駐車場の車が満車だというのに、
ピアノを弾かずには要られなかった。3時半から6時までみっちり。
もちろん弱音ペダルをONで。

それでもアパートだからうるさいだろうな、と思いつつ、
終始メゾピアノ。フォルテは出せない。一体何の練習だろうね、まじで。

ベートーベンの熱情(夢だった)をぼちぼち弾いてます。
大好きなイリア・ヤクーシェフも弾いていて、テンション上がった。
他の人のピアノは上手過ぎて自分のピアノがいやになるけど、
この人のピアノは次元が違い過ぎていやにならない。そして天使かよ?!
のヴィジュアル。

まだレッスンに通っていた10年前に見た頃は、動画が
ハイドンソナタとメンデルスゾーンのピアノ協奏曲の2つしか
なかったが、現在かなり増えており嬉しい。
ラプソディインブルーとか圧巻。いや全部圧巻。譜読みして
どうやったらそうなるの?違う曲、全く。チャイコフスキーの
ワルツとか?やべー何なの?もう。。

へただなぁ私。清清しいくらいに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真夜中の暴走2

2024-10-07 03:52:24 | 奇跡講座テキスト or ワークブック
「身体が求めるものは、私を幸せには絶対にしてくれない、
それはまさに死を意味する」

という理解の中、ピアノが逆に楽しくなってしょうがないです。
身体が苦痛を連れてくる、というのは確かにそうかもしれない。

実際、私はピアノを毎日弾ける環境であるにも関わらず、
満足していないし、上達したところで、老化、ピアノの破棄問題、
新しいピアノを調達できない&維持できない経済力のなさ、
無意味さ、からっぽ、頑張った過去、弾けた嬉しさ、
弾けたとしてももはや誰にも興味を持ってもらえないどころか
ピアノ関係なしに死ぬ気配すらない存在を疎まれる老人になっても
ピアノを弾きたがる自分を憎み、窓に石を投げられ、
弾けなくなった今、弾けたことを誰にも話せない虚しさに
苦しめられる未来、見えてしまう。

けども、そんな未来など存在しない雲のようなもの、と思って
一瞬一瞬だけを生きれば確かにそんな未来あるはずもない。
遠くから見る分厚い雲なんだ。進んでいけば何の抵抗も無い。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真夜中の暴走

2024-10-07 03:24:31 | 奇跡講座テキスト or ワークブック
奇跡講座のテキスト、第19章苦痛の魅力 まで読み進めています。

頭はパンクしていますが、意味も把握できていません。
何をどうやっても自我は「避けられない」自我から「逃れられない」
気、ばかりしています。

とりあえず、この自意識(&身体)は、訂正されるべき誤り、
なぜなら、罪悪感が源であるから、という解釈で良い?・・・

解釈も意味ないのはわかってるけんど。ここまで来ると読まずには
いられない。

太陽=神
人間=神の子
影=自我

の例えが分かりやすかった。影が人間になろうとしている、
と思うと確かに、その野望は見当違いだね、となる。
自我は、神も神の子も不在!、と主張するが、神と神の子がいなければ
存在出来ない、というパラドックス。

そう思うと、確かにこの目に見える世界は、雲のようだと思える。
遠くから見ると、壁に見えてとても突破できるようには見えない
けど、進んでいくと、何も無かったと言えるほど簡単に前進できる。

そう思うと、この自意識から脱すること、出来るのかな?
って希望が沸いてくる。

真夜中の思案は暴走。忘れよう。自我の思い付きだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする