奇跡講座テキスト 第20章 聖霊の心眼を読み終えましたが、
再度読んでおります。最初の節に「聖週間」というのがあり、
こんなに急いで読まなくても、1週間かけてゆっくり読んでみよう
と思った次第です。
最近は、早く寝れば、1:30に目が覚め、遅く寝ても、
4:00には目が覚めてしまい、どちらにせよ、夫と娘が出たあと、
何も出来ず、ずっと寝ています。ただダルいだけなら良いのに
自己嫌悪の罪悪感の無気力感の、、、、(endless)自己否定が
止まりません。
奇跡講座、こんだけやっても(やりすぎるとやっぱりそう思う)
なかなか身に付きません。身に付く、という考えが矛盾してるので
そこに少し安堵しては、なんとか再開しております。
自我(&身体)は何も出来ない、ということを念頭に。
ジャッジしないようにする、ではなく、出来ない、不可能。
例え、ジャッジして結果が出たしたように見えてもそれは
何も起こっていない。雲のようなもの。
娘のいわゆる、良い子のあゆみをみると、私が家で言った暴言を
娘がそのまま授業の課題の中で使っており、娘は娘自身のことを
そう思ってます的な内容が先生により間接的に書かれており、
ひゃっとなりました。これが去年だったら、相当に落ち込んで
いたと思います。「こうあらねば」「こんな母と思われたい」度が
強すぎて、しかし空回りして、うまくいく日もあるのに、
この1回だけで毒親認定されたくないっ!と頑なに
思っておりました。なんか、我ながらすごいですね・・・・・。
うん。すごい思考だと思います。無理ありすぎ。渦中にいるときは
酷いとも思わんです。
今なら、担任がわざわざこのことを書いていることが、むしろ
ありがたいことだと思えています。なぜなら、娘側にまわって
くれたような気がしたからです。がんばってるから
そんなこと親として言わないでください的な。先生をイライラ
させてないかちょっと不安だったので。
奇跡講座、続けて読みます。