奇跡講座のテキスト、最近は、1章を読んだ後、もう一度、
その章を読んでいます。1回目、ちゃんと読んだはずなのに、
2回目と思えないほど新鮮で、すーーっと理解出来ます。
これは良いことなのか、逆にやめた方がいいのか・・・。
と思うこともまた自我のトリックかもしれないので、考えない
ことにします。私(自我)は何も決めることは出来ないので。
しかし、自分を「無力」だと思うのは傲慢、なんですよねぇ・・・
センセ、むずいっす。
(センセ)むずいと思うのは、自我です。自我が何かをやろうとしているとき。
そして今日もまた不毛なひとり言。
現在、第21章 理性と知覚 を読み進めています。
「知覚は原因になることはなく、単なる結果に過ぎないので
それ(身体の知覚、思考)について心悩ますのは無意味、
というより不可能」
理屈はわかる。
私達の身体は、(神への)罪悪感というシステムにより
作られ、心は罪悪感を源としている。どうあがいても肉体
を意識せざるを得ないが、肉体は雲のような幻想なので、
心を元(神とひとつだった頃)の姿へ戻すこと、それが本来の生きる姿。
肉体は生きていても死んでいても「死」
そんなことを考えたって、何も変わらないなら
やっぱりそのままこの肉体で生きるしかないわけで。
どんなに奇跡講座を学んでも、結局、学ばなくても良い
人の方が幸せだろうし、この世界に満足している人は、
奇跡講座なんてやらなし、むしろこの世界を持続させようと
するだろうし。
この瞬間私は何をどうすれば幸せになれるんだろう。
きっと私は今、幸せで恵まれているのですよね?