どんな自分であっても受容しなければならない、
受容できなければ受容しようとしなくてもよい。
「今の状況を受容する」
自分を偽るから恐怖だし、偽りによって誰かを傷付けていることになる。
例えば、ヘアカラーをする → 白髪(の人)を否定
ここまで考えたけれど、「傷付く」のは自我のみ。
ヘアカラーすることは確かにそのままの自分を
受容出来ていないことになるが、傷付く人は誰もいない
(奇跡講座的には)ため、ヘアカラーするもしないも
やはり自由、となる。
いろんな個人の思惑を考えたら本当にきりがなく
パンクする。だから不可能だし、実際それに意味も目的もない。
見た目、誰のため、何のため。
愛する誰かのため、自分のため、会社のため、
地域ため、世界平和のため、結局どんな理由であれ重要だ。
それでもそれに意味が見出せなくなった人もいる。
どこまでも見過ごすことを徹底したい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます