むかし、インドに商人がいました。ある日、商人の家に美しい貴婦人がやってきました。
「私をこの家に住まわせてください。私は福をもたらす吉祥天ですのよ」
とその女性が言うと、商人は
「どうぞ、むさ苦しい家ですが住んでつかあさい」
と女性を迎え入れました。
そしたら、その女性の後ろを貧しそうな女性がついて入ってこようとするではありませんか。
「あんたあ、誰なんかね?」
「私は黒闇天よ。貧乏神ね。」と貧しそうな女性は言いました。
「あんたは、住まわせんよ。帰りんさい。」と商人が言うと。吉祥天は
「それは、あたしの妹よ。私たちはいつも一緒なの。一緒に住まわせてちょうだい」
と言いました。
結局、商人は吉祥天姉妹を住まわせることをしませんでした。
人間は良いことばかり受け入れることはできません。
悪いことも受け入れなければなりません。
年をとり、病気や死も受け入れなければなりません。
良いことばかりあるのが人生だと考えてしまうととても苦しくなります。
尾崎放哉に
「入れ物がない両手で受ける」
という句がありますが、
良いことも悪いことも受け取らなければならないのが人生なのだと諦めることが大事なのです。
「私をこの家に住まわせてください。私は福をもたらす吉祥天ですのよ」
とその女性が言うと、商人は
「どうぞ、むさ苦しい家ですが住んでつかあさい」
と女性を迎え入れました。
そしたら、その女性の後ろを貧しそうな女性がついて入ってこようとするではありませんか。
「あんたあ、誰なんかね?」
「私は黒闇天よ。貧乏神ね。」と貧しそうな女性は言いました。
「あんたは、住まわせんよ。帰りんさい。」と商人が言うと。吉祥天は
「それは、あたしの妹よ。私たちはいつも一緒なの。一緒に住まわせてちょうだい」
と言いました。
結局、商人は吉祥天姉妹を住まわせることをしませんでした。
人間は良いことばかり受け入れることはできません。
悪いことも受け入れなければなりません。
年をとり、病気や死も受け入れなければなりません。
良いことばかりあるのが人生だと考えてしまうととても苦しくなります。
尾崎放哉に
「入れ物がない両手で受ける」
という句がありますが、
良いことも悪いことも受け取らなければならないのが人生なのだと諦めることが大事なのです。