幽州(ゆうしゅう)の盤山(ばんざん)の宝積(ほうしゃく)禅師 因(ちなみ)に市肆(しし)を行く。一客人の猪肉(しょにく)を買うを見る。屠家(とか)に語って曰く、精底一斤(せいていいっきん)を割(さ)き来たれと。屠家刀を放下(ほうげ)して曰く、(ちょうり)那箇(なこ)か是(こ)れ精底ならざると。師(し)之(これ)に省(せい)あり。
盤山の宝積禅師が買い物に街に出かけると、肉屋の前で客が店主と話していました。
「上等の肉を用意しちゃんさいや」
そうしたら店主は包丁を放り投げて言いました。
「どこに上等でない肉があるんかね。」
宝積禅師はこれを聞いてはっと思ったと・・・。
良い悪いは所詮人間の「分別」によるものです。善悪、生死など対立概念で考えないということを宝積禅師は考えたのではないでしょうか。
少し話は飛躍しますが、昨今「命の選別」や「安楽死」について話題になっていますが、「いらない命などない」とこの話を聞いて私は思いました。
盤山の宝積禅師が買い物に街に出かけると、肉屋の前で客が店主と話していました。
「上等の肉を用意しちゃんさいや」
そうしたら店主は包丁を放り投げて言いました。
「どこに上等でない肉があるんかね。」
宝積禅師はこれを聞いてはっと思ったと・・・。
良い悪いは所詮人間の「分別」によるものです。善悪、生死など対立概念で考えないということを宝積禅師は考えたのではないでしょうか。
少し話は飛躍しますが、昨今「命の選別」や「安楽死」について話題になっていますが、「いらない命などない」とこの話を聞いて私は思いました。