行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

恨みをもったまま生きていくには

2021年01月19日 | 仏の心
写真は岡山県久米南町の誕生寺内にある浄土院六角堂



犯罪被害者や遺族の方のお話を聞くと、「恨みなんて忘れなさい」などと言うのはさらに被害者の方に被害を与えてしまうことになります。「恨みを忘れなさい」ほど残酷な言葉はないのです。差別や犯罪の被害者の方にも落ち度があったのではないかというのも二次被害を与えることになるのです。
法然上人はまさに犯罪被害者の遺族でした。父親を殺された恨みはそう簡単に消えることはなかったのではないでしょうか。さらに法然上人は流刑にもあっています。法然上人は人生の苦難を念仏に集約していったのではないでしょうか。私はだれかをリスペクトすることはありませんが、法然上人には何かと自分に重なるものを感じています。恨みや憎しみにどう向き合うか法然上人に学んでいきたいと思っています。
念仏の機は、ただ生まれつきのままにて、念仏をば申すなり。智者は智者にして申して生まれ、愚者は愚者にて申して生まる。道心ある人も申して生まれ、道心なき人も申して生まる。乃至富貴のものも、貧賤のものも、慈悲なきものも、欲ふかきものも、腹あしきものも、本願の不思議にて、念仏だにも申せば、いづれもみな往生するなり。念仏の一願に万機をおさめておこし給える本願なり。ただこざかしく機の沙汰をばせずして、ねんごろに念仏だにも申せば、みなことごとく往生するなり。(法然上人)


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