行雲流水

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カルマ

2021年04月23日 | 法句経
愚かな者は、悪いことを行なっても、その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現われたときには、苦悩を受ける。(中村元訳『法句経69』)怒っているときには気がつかなくても怒りから覚めてみると人間関係を壊したり人を傷つけてしまったことに後悔する。怒りの業(カルマ)が後悔して苦しむことである。

愚か者、無知な人という言葉はよく使いますが、この言葉のなかには非難する気持ちも否定する気持ちもまったくありません。「無知、愚か者」(bāla)という言葉は我々生命が本来持っている性格を表わす仏教の専門用語です。(スマナサーラ長老)お釈迦様以外はみんな「愚か者」

愚かな者は、たとい毎月(苦行者の風習にならって一月に一度だけ)茅草の端につけて(極く少量の)食物を摂るようなことをしても、(その功徳は)真理をわきまえた人々の十六分の一にも及ばない。(中村元訳『法句経70』)形だけの信仰ならやらない方がいい。

悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。(中村元訳『法句経71』)悪い習慣は小さいうちに気がついておいた方がいい。
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