行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

権力もお金も幻

2010年10月12日 | 禅の心
色慾火熾、而一念及病時、便興似寒灰。
名利飴甘、而一想到死地、便味如嚼蝋。
故人常憂死慮病、亦可消幻業而長道心。



色慾(しきよく)は火(ひ)のごとく熾(さか)んなるも、而(しか)も一念(いちねん)病時(びょうじ)に及(およ)べば、便(すなわ)ち興(きょう)は寒灰(かんかい)に似(に)たり。
名利(めいり)は飴(あめ)のごとく甘(あま)けば、而(しか)も一想(いっそう)死地(しち)に到(いた)れば、便(すなわ)ち味(あじわ)いは嚼蝋(しゃくろう)の如(ごと)し。
故(ゆえ)に、人(ひと)、常(つね)に死(し)を憂(うれ)え、病(やまい)を慮(おもんぱか)らば、亦(また)幻業(げんぎょう)を消(け)して、道心(どうしん)を長(ちょう)ずべし。



色情は火のように燃え上がるものだが、病気になった時のことを想起すると、色情は一気に冷めて灰のようになる。
名誉や金銭は飴のように甘いものだが、死んだ時のことを想起すると、物欲は一気に冷めてロウソウを噛むような気分になる。
だから、人間は常に死を思い、病気を気に掛けていれば、幻のような瞬間的な欲望を消せることが出来るので、達人の道を歩みなさいということ。
つまり、達人は一瞬の欲望を完成された心で昇華し淡々と生きましょう、ということ。言い換えれば、誰にでも起こる欲望を管理できないようでは達人とはとても言えませんね、ということだろう。




 お金は死んでからあの世に持って行けませんし、地位や名誉もしかりです。お金があったり、権力をもっているときには周りの人々はお金や権力にひれ伏してくれるかもしれませんが、やがて、病気や死には勝てないわが身だということに気づくでしょう。お金も権力も一瞬の幻に過ぎないのです。それよりも、人徳を身につけて、少しでもいい充実した生き方をする方がいいのです。
 人間、誰でも老いて病気になり、死んでいくものだということを常に念頭に置いて充実した日々を送っていく必要があります。

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温和な人に人は集まる

2010年10月08日 | 禅の心
山之高峻処無木、而谿谷廻環則草木叢生。水之湍急処無魚、而渕潭停蓄則魚鼈聚集。
此高絶之行、褊急之衷、君子重有戒焉。(菜根譚前集196)



山の高峻なる処には木なし、而して谿谷廻環すれば、草木叢生す。
水の湍急なる処には魚なし、而して渕潭停蓄すれば、魚鼈聚集す。
この高絶の行、褊急の衷は、君子重く戒しむるあれ。


山の山頂付近には木が生えないことが多い。しかし谷筋の緩やかな場所には草木が茂っている。
滝や急流には魚が住めない。しかし、水の緩やかな場所には、魚や亀も住んでいる。
極端にお高くとまったり、激しい心は、人が寄りつかなくなるもとなので、君子は気をつけなければならない。


いくら正しいことであっても、独りよがりであったり、攻撃的であったりすると、誰も寄りつかなくなるものです。人の上に立つ者はいつも穏和で中庸を守る必要があります。温厚な人を人は慕い、集まってくるのです。権力に人が集まってくるように見えるのは、実はその人を慕っているのではなく、その人から受ける恩恵を望んでいるに過ぎず、寂しいことです。

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美食は命を縮める

2010年10月05日 | 禅の心
耳中常聞逆耳之言、心中常有払心之事、纔是進徳修行的砥石。
若言言悦耳、事事快心、便把此生埋在鴆毒中矣。



耳中つねに耳に逆らうの言を聞き、心中つねに心に払るの事あれば、わずかにこれ徳に進み行いを修むるの砥石なり。
もし言々耳を悦ばし、事々心に快ければ、この生を把りて鴆毒のうちに埋在せん。




いつも耳の痛い忠告や諫言を聞かされ、思い通りにならないことばかりに接していると、知らないうちに修養を積むことができて、人徳を進め、行いを磨く砥石となるものである。

もし聞くことが全て自分を喜ばせ、耳に心地よいものであるならば、一生涯を猛毒のなかに身を埋めてしまうようなもので、これ以上の不幸はないのである。



人を誉めることは大切なことです。しかし、誉められてばかりいると、人間はかえって堕落してしまうものです。これはいつも甘いものや脂っこいものばかり食べていると、悪玉コレステロールがたまったり、血圧が上がったりして寿命を縮めてしまうようなものです。私は、若い人の意見や、もっともな忠告には素直に耳を傾けるようにしています。忠告は人徳を磨くためのチャンスです。

忠告や助言と誹謗中傷とは全く違うものです。忠告や助言にはその人のためにという愛情が含まれているのです。



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繁栄の果てに

2010年10月01日 | 禅の心
かざられし 王車にも似し

世の栄に 愚者は溺れむ

心ある 智者は迷わじ


(法句経171)


 現代の日本は経済発展に陰りが出てきたとは言え、私たちはとても便利な生活を享受しています。お金さえあれば何でも手に入る世の中です。だからこそ皆、お金の魔力に取りつかれてしまい、純粋な人間性を失ってしまうのです。人々が権力者にひれ伏すのは、その人徳ゆえではなく、お金にひれ伏しているのです。
 お金はあの世に持って行けません。お金があるから幸せなのではなく、人徳を積んでいって、少しでも充実した人生を送って行くことが最高の幸せなのだと思います。

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