行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

大石順教尼が語る

2011年07月12日 | 禅の心
手のない私は生きるために寄席の一座に入り、長唄や小唄などを唄い、全国を巡業して歩きました。仙台に行ったときのことです。早朝、きれいな声で啼いている声の主を捜したら、籠の中野カナリヤでした。見ると雌鳥がくちばしで雛に餌を与え、立派に子育てしているではありませんか。私は、ふと、あの小鳥のように口で何かできないかしらと思ったのです。それから口に筆をくわえて三日三晩、丸を書いたり四角を書いたりしました。今、私は起きるとすぐ口に筆を運び、紺紙金泥の写経をします。それから本堂へ参って仏様としばらく向き合い、お経をあげます。

【法話を味わう】
自然界には、文字のないお経であふれかえっています。花の色、鳥のさえずり、谷川のせせらぎの中にも「教え」があるのです。それを受け取れる人は幸いです。大石順教尼は、カナリヤから自分の生き方を教えてもらったのです。

【大石順教尼の略歴】
1888年(明治21年)大阪で生まれる。
1905年(明治38年)「堀江六人斬り事件」で両腕を失う。
1907年(明治40年)カナリアから絵を描くことを教わる。
1912年(明治45年)結婚
1917年(大正 6年)長女出産
1927年(昭和 2年)離婚
1933年(昭和 8年)出家得度する。(真言宗)
1947年(昭和22年)佛光院を建立する。
1968年(昭和43年)示寂

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山田無文老師が 独坐大雄峰 を語る

2011年07月08日 | 禅の心
○戦後の日本は哲学を軽視して科学を尊重してまいりました。本当の意味での「人間尊重、自我の自覚」ということについて、多くの人が誤って解釈しているのではないかと思います。
○道徳とは、他から「ああせい、こうせい」と指図すべきものではありません。
子どもたちが心の中から考えて、すべきものであります。
○しかし、考えることの嫌いな子どもたちは、ただちに動物的な本能だけを発揮し、その結果ドライになる。逆に考えることの好きな子どもは、頭の中で暗中模索をして、ついにノイローゼになってしまう。
○「この世でいちばん有り難いもの」と尋ねられた百丈禅師は、こうお答えになりました。
○「独坐大雄峰・・・・・私が今独り生きて、ここに坐っとることがいちばん有り難い。私が生きて、現にここに坐っとることが、いちばん素晴らしい。一番尊い」
これぐらい人間尊重の言葉はないと思います。これほど「自我を自覚」し、「個人を尊重」された言葉はないと思うのです。
○皆様方にとって何が一番尊いか。何が一番有り難いか。何が一番素晴らしいか。今、生きて、そこに坐っていらっしゃることが、一番有り難いのです。
○お金のあることも結構。立派な住宅に暮らされることも結構。ご出世なさることも結構ですが、それは皆さんが、今生きて、そこに坐っていらっしゃることが、いちばん有り難いのです。


【言葉を味わう】
人生、嫌なこと、苦しいことばかりですが、何のために生きているのか。そんなことはどうでもいいのです。今、ここに存在していることが一番めでたいことで、有り難いことなのです。そのことを教えてくれるのが、禅であり、仏教なのです。


【山田無文老師略歴】
  1900(明治33)年 豊田市に生まれる。
  1925(大正14)年 臨済宗大学卒業。
  1929(昭和 4)年 妙心寺専門道場。ついで天龍寺専門道場で関精拙   に参ずる。
  1949(昭和24)年 花園大学学長。
  1953(昭和28)年 神戸・祥福寺専門道場師家。
  1978(昭和53)年 臨済宗妙心寺派管長、花園大学名誉学長。
  1988(昭和63)年 遷化。

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大森曹玄老師が悟りを語る

2011年07月05日 | 禅の心
○お釈迦様は、お悟りになられたときに、こう喝破されました。
「自分があそこに星となって輝いている。あの星はここに自分となって端座している。星と自分と息吹が通い、一つの生命につながっている。」
○白隠さんが42歳まで迷ったなら、我々は50歳から60歳まで大いに迷って結構であります。


【言葉を味わう】
自分と自分でないものが、一続きのものであるというのが、釈尊の悟られたことであるとは言いますが、これは自分で悟ってみなければ意味のないことです。言葉で理解できるのは悟りではない。悟りとは言葉で理解できないものであります。

そもそも、迷っているから人間なのです。自分は悟ったんだと澄ました顔をしている人は、迷っている証拠なのです。


【大森曹玄老師略歴】

   明治37年山梨県に生まれる。
   大正14年、京都天龍寺に参学。
   昭和 9年、直心道場を創立。敗戦の年まで剣道を教授する。
   昭和21年、天龍寺管長、関牧翁に得度を受け、僧籍に入る。
   昭和23年、東京高歩院住職。
   昭和53年、花園大学・学長。
   平成6年、遷化

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柴山全慶老師 の『越後獅子禅話』を読む

2011年07月01日 | 禅の心
【長唄・越後獅子・全文】

打つや太鼓の音もすみわたり 角兵衛 角兵衛と招かれて
居ながら見する石橋の 浮世を渡る風雅もの
歌ふも舞ふもはやすのも 一人旅寝の草枕
おらが女房をほめるぢゃないが 飯も炊いたり水仕事
あさよるたびに楽しみを ひとり笑みして
来りける越路がた お國名物は様々あれど 田舎なまりに片言まじり
獅子唄になる言の葉を 雁の便りに 届けてほしや
小千谷縮の何処やらが 見え透く国の習ひにや 縁を結べば
兄やさん 兄ぢゃないもの 夫ぢゃもの
来るか来るかと濱へ出て 見ればの ほいの 濱の松風音や
まさるさ やっとかけの ほいまつかとな
好いた水仙 好かれた柳の ほいの 心石竹 気はや紅葉さ
やっとかけの ほいまつかとな
辛苦甚句もおけさ節
何たら愚痴だえ 牡丹は持たねど 越後の獅子は
己が姿を花と見て 庭に咲いたり咲かせたり
そこのおけさに異なこと言はれ ねまりねまらず待ち明かす
御座れ話しませうぞこん小松の蔭で 松の葉の様にこん細やかに
弾いて唄ふや 獅子の曲
向ひ小山のしちく竹 いたふし揃へてきりを細かに十七が
室の小口に昼寝して 花の盛りを 夢に見て候
見渡せば 見渡せば 西も東も花の顔 何れ賑ふ人の山 人の山
打ち寄する 打ち寄する 女波男波の絶え間なく
逆巻く水の面白や 面白や
晒す細布手にくるくると さらす細布手にくるくると
いざや帰らん 己が住家へ


【柴山全慶老師の法話】
○さて、もしこのデデン!の一声をわれわれ人間の一生に比べたならば、どのようなことに当たるでしょう。「オギャー!」とあげた産声と見るべきではないでしょうか。
○この「オギャー!」の一声こそは、全く文字通りに無念無心、無垢清浄であります。○この一声には、大臣になりたい野心もなければ、お金持ちになりたい欲望もなければ、学者になりたい希望もないと思います。また、ホームレスに(※きたろう言い換え)なったら恥ずかしいという思いもなければ、汚い着物を着ては他人に笑われるとも考えていないでしょう。
「澄み渡り」と原文にありますが、実は澄むの澄まないのという、分別心の汚れさえないほど澄み切っているのが「オギャー!」の一声なのであります。
○これこそ神の一声、天真仏の一声ではないでしょうか。
○天あることを知らず、地あることを知らず、美醜あることを知らず、自他あることを知らざるのこの一声こそ、天地一杯、宇宙一杯に鳴り響いた一声でなければなりません。


【法話を味わう】
越後獅子のデデン・デデンという太鼓の音が、天地いっぱいの音なのです。人生、嫌なことが多く苦しいものかもしれませんが、この世に生まれてきたことは奇跡であり、宇宙に一つしかない命を生きていくことになるのです。
自分自身の尊厳を知ることは、他人の尊厳を知ることであり、生命の尊厳を知ることでもあります。
釈尊がお生まれになった時に、七歩歩いて、天と地を指して「天上天下唯我独尊」とおっしゃったのは、まさに私たちの命は宇宙と同じくらい重いものだと言うことを象徴しているのです。

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