手のない私は生きるために寄席の一座に入り、長唄や小唄などを唄い、全国を巡業して歩きました。仙台に行ったときのことです。早朝、きれいな声で啼いている声の主を捜したら、籠の中野カナリヤでした。見ると雌鳥がくちばしで雛に餌を与え、立派に子育てしているではありませんか。私は、ふと、あの小鳥のように口で何かできないかしらと思ったのです。それから口に筆をくわえて三日三晩、丸を書いたり四角を書いたりしました。今、私は起きるとすぐ口に筆を運び、紺紙金泥の写経をします。それから本堂へ参って仏様としばらく向き合い、お経をあげます。
【法話を味わう】
自然界には、文字のないお経であふれかえっています。花の色、鳥のさえずり、谷川のせせらぎの中にも「教え」があるのです。それを受け取れる人は幸いです。大石順教尼は、カナリヤから自分の生き方を教えてもらったのです。
【大石順教尼の略歴】
1888年(明治21年)大阪で生まれる。
1905年(明治38年)「堀江六人斬り事件」で両腕を失う。
1907年(明治40年)カナリアから絵を描くことを教わる。
1912年(明治45年)結婚
1917年(大正 6年)長女出産
1927年(昭和 2年)離婚
1933年(昭和 8年)出家得度する。(真言宗)
1947年(昭和22年)佛光院を建立する。
1968年(昭和43年)示寂
【法話を味わう】
自然界には、文字のないお経であふれかえっています。花の色、鳥のさえずり、谷川のせせらぎの中にも「教え」があるのです。それを受け取れる人は幸いです。大石順教尼は、カナリヤから自分の生き方を教えてもらったのです。
【大石順教尼の略歴】
1888年(明治21年)大阪で生まれる。
1905年(明治38年)「堀江六人斬り事件」で両腕を失う。
1907年(明治40年)カナリアから絵を描くことを教わる。
1912年(明治45年)結婚
1917年(大正 6年)長女出産
1927年(昭和 2年)離婚
1933年(昭和 8年)出家得度する。(真言宗)
1947年(昭和22年)佛光院を建立する。
1968年(昭和43年)示寂