行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が世間を語る

2012年01月13日 | 禅の心
○烏鷺滝が世間を語る


○理想の政治もない、理想の社会もない。

○何か解決しようとすると、どこかにしわ寄せがいく。

○戦争や紛争はそのしわ寄せから生じる。

○みんなが幸せになる社会などないちゅうのが、釈尊の考えられたことなんじゃ。

○聖徳太子も「世間虚仮、唯仏是真」と言われた。

○世の中なんぞ、ウソなんじゃということじゃ。そして、仏の教えこそが真実なんじゃということじゃ。

○しかも世の中自分の思い通りにはならん。その思い通りにならんことで、みんな苦しんどるんじゃ。

○じゃから釈尊は世間を捨てて、出家されたのじゃ。

○「出家」とは、「出世間」言うてもええんよ。

○ 虚仮の世間にじゃのうて、自らの心の中に真実を求め、幸せを求めていくのんが、宗教ちゅうもんじゃな。

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澤木興道老師が語る

2012年01月10日 | 禅の心
澤木興道老師が語る

○仏法で一番イヤラシイとするのは染汚(ぜんな)ということである。重役とか、社長とかーそういう顔をするのが染汚である。この染汚が清められることーそれが祇管である。

○人間の頭にはいつもなんぞコリカタマリがある。何々主義などというのは、何々にコリカタマッテいるということだ。それでどれだけ仏法が近くにあっても見ることができぬ。このコリカタマリがあるからじゃ。

○よいことをするという悪いこともある。自分を飾るためによいことをするヤツもあるんじゃから

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法演の四戒

2012年01月06日 | 禅の心
以前にも触れました、法演の四戒は
1.勢い使い尽くすべからず
2.福受け尽くすべからず
3.規矩行い尽くすべからず
4.好語説き尽くすべからず

です。
今の時代、まさに第一の「勢い使い尽くすべからず」が大きな意味を持っています。少し前まで業績の良かった会社が一転して落ち込んだり、経営破綻しています。調子のいい時ほど要注意です。
二番目は独り占めしないでお裾分けをしようということです。或いは、募金に協力したり、寄付をしたりすることも大切です。いわゆる布施ということです。
布施は決してお金や品物ばかりではなく、体の不自由な方に協力して差し上げたり、職場で助け合って仕事をすることもそうだと思います。つまり、自分さえよければではなく、みんなの事を考えることです。
三番目は、きまりを厳格にしすぎるとかえって人間関係がギスギスしたりストレスがたまり過ぎたりするものです。確かに規則は大切です。
最近は自分の事を棚にあげた正義も多く、人のあら探しをしては攻撃するような人も見受けられます。しかし、それをやりすぎると、みんな警戒して心を開いてくれなくなります。寛容の精神は日本人の美徳だと思います。教育でも厳し過ぎるのも考えもので、どこかに逃げ道を残しておくことも大切です。
第四番目は難しく、どんなに良い言葉でもとことん説いてしまうと値打ちがなくなってしまうということです。相手に考えていただくことも大切なのです。教育は特にそうだと思います。答えを言ってしまって聞いている方に考えさせないのは良い先生とは言えません。7割か8割説いてあとの3割か2割は生徒に考えさせることが大切なのです。

この四戒は現代社会をうまく渡っていくための道標になると思います。

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山田無文老師が道徳を語る

2012年01月03日 | 禅の心
山田無文

○せんだって幼稚園の先生方の研修会があって頼まれて出席したのですが、そのときの研究のテーマが「道徳の芽生え」ということでした。これでなくてはいけません。

○道徳は自然に芽生えるものです。

○芽が生えてくるのは、その種があるからです。

○子どもの心の中にすでに道徳の種があるから芽が出てくる。

○その芽生えを伸ばしていくことが教育というものでなくてはなりません。

○子どもたちが自然に発したことばを刷って配られましたが、その中に、ある子どもが昼間とんぼをとってきて日暮れになったら、「とんぼのママさんが待っているから、おうちへ帰してやりましょう」と言ってそのとんぼを逃がした、というのです。

○そういうあたたかい思いやりが子どもの心の中に自然に備わっているのです。

○またある子は、友達がバッタの羽をむしっているのを見て、「痛いからやめてちょうだい」と言ったという。その子はバッタの羽を取られるのが、自分の手をもがれるほど痛く感じたのでしょう。

○捨て猫を見つけて、かわいそうだからどうしても拾って帰ると子どもがせがむのに、お母さんはそれを拾わせなかった、というのがあります。この場合、子どもと大人とどちらが本当でしょう。どうかすると、子どもの道徳の芽生えを、親が摘んでいはしないでしょうか。

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