行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

善と悪

2012年05月11日 | 禅の心
仏教では、「善と悪」というふうに、二つに分けて考えずに、一人の人間の中に「善と悪」の両方が宿ると考えます。どんな極悪人と呼ばれる人でも、いくらかの善なるものをもっているし、模範的な聖者でも、悪いところはあるものです。すべての衆生は本来仏であり、仏になる可能性を持っているというのが、仏教です。
しかし、だからといって、ものを盗む癖が治らなかったり、人を傷つけたり、暴力をふるったり、人をあやめたりするのがいいわけがありません。悪いことはことは悪いのです。
釈尊と釈尊以前に現れた6人の仏に共通する真理の言葉が『七仏通誡偈』です。

諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫く
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり

悪いことをするな、良いことをしろという、ごく当たり前のことなのですが、善悪をきちんと見極めよというのが、仏教、特に禅の根底にあるのです。
善と悪を二つに分けて考えないのは、どんな善人にも、悪いことをする縁をもっているからです。善悪の判断をきちんとし、できるだけ悪いことをしないようにすることは大切です。


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怒ってはいけない

2012年05月08日 | 禅の心
怒りの炎はすべてを焼き尽くす
愛情も 信用も
怒りの炎の勢いは
人を傷つけ 我が身も傷つける


不景気な世の中。、人々はいつもよりイライラした年の瀬を迎えているような気がします。子供に当たる親。お年よりに怒鳴り散らす駅員。けたたましく鳴り響くクラクションの音。店員にくってかかる客。
烈火のごとく怒る事は恥ずかしい。怒っている自分の顔を想像すると恥ずかしいものです。鬼とは怒っている人間の姿なのです。真赤な顔して怒るのが赤鬼。他人を冷たく扱うのが青鬼なのです。カッと頭に血がのぼったら、鏡をみてみましょう。そこには鬼がいるはずです

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光と影

2012年05月04日 | 禅の心
死がわかって生の意味がわかる
世の中の悪を知って善の意味がわかる
差別の実態がわかって人権の大切さがわかる
戦争の悲惨さを知って平和の大切さがわかる
絵画では影の描写があるから光の部分が引き立つ

「生と死」「善と悪」「人権と差別」「平和と戦争」そして「光と影」対立するものではなく一つのものなのです。

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常不軽菩薩

2012年05月01日 | 禅の心
インドに、誰に会っても礼拝する人がいました。
「あなたは、やがて仏になられる方です。」
と言っては、出会う人に礼拝するのです。

怒ったり人の悪口を言うことしかできない増上慢の人々は、「こいつ、おかしいのではないか?」と言って、礼拝する人を迫害します。それでも礼拝をやめません。
「あなたは方はやがて仏様になられます。」

礼拝する人は歳をとり、寿命が尽きて亡くなりました。
この礼拝する人こそ、法華経・常不軽菩薩品第二十に出てくる常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)なのです。

人権感覚の涵養は、お互いに拝み合うことが基本です。
お互いの命の尊さを認め、尊敬し合うことです。
挨拶とはまさにお互いを尊敬し合う心の現れだと思います。おはよう、こんにちは、さようならなどのなにげない挨拶こそ、魔法の呪文であり、陀羅尼(真言)であります。



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